~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
疫 病 神 Part-04
山南は顔が広い。
なぜならば、江戸一の大道場で門弟三千といわれる千葉門下の出身だからである。
この門下から、清川八郎、坂本竜馬、海保帆平、千葉重太郎など、多くの国事奔走の志士が出たのは、諸般から集まって来る慷慨悲歌の士が多く、その相互影響によるもので、現代の東大、早大における全学連と類似とはいわないが、それを想像すれば、やや当たる。
江戸府内に友人が多いから、山南は天下の情勢、情報を、しきりとこの柳町の坂の上の小さな町道場に伝えた。
もし山南敬介という、顔の広い利口者がいなければ、近藤、土方などは、ついに場末の剣客で終わったろう。
その山南が、
「近藤先生、耳よりな情報があります」
と、仙台なまりで伝えて来たのは、文久二年も暮れのことである。
「どんな話だ」
近藤は、山南の教養に参っている。
「重大な話か」
「幕閣の秘密に関する事項です」
「されば、土方歳三をここへ呼んで一緒に聞こう」
「いや、事は極秘に属します。先生お一人でお聞き願いたい」
「私としてはそれは出来かねる。私と土方歳三は、日野宿の佐藤彦五郎(歳三の姉婿)とともに義兄弟の盃を汲み交わした仲だ」
「義兄弟とは、博徒の習わしのようですな」
「古く、武士にもある」
呼ばれて歳三が来た。
歳三も山南も、互いに一礼もしない。そういう仲である。
「じつは、私と千葉で同門の俊才で、清河八郎という出羽郷士がいます。文武、弁才、方略に長けた戦国策士のような男で、年は三十過ぎ、これが神田お玉ヶ池で文武教授の塾をひらき、御府内の攘夷党の志士を集め、幕臣の有志とも親交を持っています」
「なるほど」
近藤は知らない。江戸で才物清河の名を知らないのは、よほど時勢にうといといえる。
「その清河が」
と、山南敬介が言った。
幕閣に働きかけて、幕府の官費による浪士組の設立を上申し、それが老中板倉周防守の裁断で許可がおりたというのだ。
幕府では、攘夷党の志士の横行、暴虐には手を焼いている。一昨年には大老井伊が殺され、去年このかた外人をつけ狙う攘夷浪士が多く、たとえば、江戸高輪東禅寺の異国人旅館に連中が斬り込んでいる。京都では彼らの跳梁のためにまったく無法地帯と化し、天誅と称して佐幕開国派の論者を斬りまくり、公卿を擁して討幕をもくろむ者さえ出ている現状だった。
── 毒は、集めて筐に納れるにかぎる。幕費をもって養えば、幕府に悪しかれという行動には出まい。
これが、老中板倉の考えである。
さっそく講武所教授方松平忠敏らを責任者として、浪士徴募にとりかかった。
徴募の方法は、清原一派の剣客(彦根藩脱藩石坂周造 ── 明治中期まで存命、事業家となる。芸州浪士池田徳太郎ら)が表向きは彼ら浪人の私的な資格で、江戸府内はおろか、近国の剣術道場に檄文を飛ばした。
「檄文?」
近藤は、不審である。
「この試衛館には来ていないが」
「それは」
山南は気の毒そうな顔をした。江戸では安政中期以来剣術道場は三百近くも出来たが、こんな聞いたこともないような百姓流儀の剣術道場にまで檄文が廻って来るはずがない。
2023/07/28
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