~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
浪 士 組 Part-01
歳三は山南敬助が、大嫌いだ。山南が他道場から聞き込んで来たこの幕府肝煎きもいり 「浪士組」設立の情報は、平素(れっきとした武士になりたい)と思っている歳三にとって飛び上がるほどの耳よりな話だったが、(待てよ)と思った。提供者の山南が気にくわない。
「もう一度、たしかめてみよう」
と、近藤にすすめた。
山南敬助は、幕府の趣旨を、
攘夷じょういのため」
と、言っている。これは、策士清河八郎の思想だ。はたしてしかるか、歳三には、疑問である。
歳三は、近藤と一緒に、牛込二合半坂になからざかにあった屋敷に、この徴募の肝煎役である松平上総介かずさのすけを訪ねた。むろんしかるべき紹介状はもらっている。
松平上総介かずさのすけは、気さくに会ってくれた。これも時勢であった。考えてもみるがいい。
上総介の家系は、三代将軍家光の弟忠長の血筋で、捨扶持すてぶち三百石ながらも格式は、徳川宗家の連枝れんしで、千代田城中では親藩大名の末席につくことのできる身分であった。世が世なら、やすやすと浪人剣客と会うような人物ではない。
「ああ、あのことか」
とこの貴人は言った。
「役目は将軍家たいじゅこうの警固だよ」
上総介のいうところでは、近く、将軍家が京へおのぼりになる。
京は、過激浪士の巣窟そうくつだ。毎日、血刀を持って反対派の政客を斬りまくっている。
将軍の御身辺にどのような危険があるかもわからない、武道名誉の士を徴募するというのである。
「それは」
近藤は、感激した。
「まことでござりまするか」
この時の近藤の感激がいかに深いものであったか、現代とうせつの我々には想像もつかない。将軍といえば、神同然の存在で、二百数十年天下すべての価値、権威の根源であった。浪人近藤勇昌宣まさよしは、顔をタタミにこすりつけたまましばらくふるえがとまらなかった。歳三がそっと横目で見ると、近藤は涙をこぼしていた。事実近藤にすれば、一生も二生もささげても悔いはない、という気持だった。
男とは、ときにこうしたものだ。
近藤の唯一ゆいつの愛読書は、頼山陽らいさんようの「日本外史」であった。日本外史は、権力興亡の壮大な浪漫ろまんをえがいた一種の文学書で、その浪漫の中でも、近藤のなにより好きな男性像は、くすのき正成まさしげだった。
楠正成は、南北朝史上のある時期にこつぜんと現れて来る痛快児である。それまでは河内かわち金剛山に住む名も無き(鎌倉の御家人帳にものっていない)土豪だったが、流亡の南帝(後醍醐ごだいご天皇)から「われをたすけよ」と肩を叩かれたがために、たったそれだけの感激で、一族をあげて振るわざる南朝のために奮戦し、ついに湊川みなとがわで自殺的な討死をとげた。頼山陽はその著でこれを、日本史上最大の快男児として取扱っている。
英国にもこんな例はある。
伝説だが、有名なしし子心王リチャードの時、リチャード王が十字軍遠征で国を留守している隙に王弟が国を簒奪さんだつしようとした。その王権擁護のために立ちあがったのが、シャーウッドの森の土豪ロビン・フッドで、この森の英雄の痛快無比な物語は、いまも英国人の愛するところだ。が、これは予断。
2023/07/29
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