~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
浪 士 組 Part-03
その翌日から、この男は、愛宕下の刀屋町をはじめ、江戸中の刀屋をけまわって、「和泉守いずみのかみ兼定かねさだはないか」
ときいた。
名代の大業物である。
斬れる。上作じょうさくなら南蛮鉄をも断つ。ちなみに刀剣の「大業物」の位列というものはきまったものだ。有名な堀川国広、藤四郎祐定すけさだ、ソボロ助広の異名いみょうで有名な津田広助など二十一工で、なかでも和泉守兼定は筆頭にあり、斬れ味は、刃に魔性があるといわれたほどのものだ。
「兼定を? あなたさまが?」
と、どの刀屋も驚いた。一介の浪人ていの者が持つべきものではない。
「初代や三代兼定ならございますが」
という者もある。同じ和泉守兼定でも初代と三代目は凡工で、値もやすい。浪人にはころあいの差料さしりょうである。しかし歳三は、
「ノサダだ」
と、言った。二代目である。いわゆる大業物兼定は、異称ノサダといわれている。刻銘を兼定とせず兼と切るのが癖だったからで、文字を分解して之サダというのだ。
古くは戦国の武将細川幽斎、忠興ただおき 父子が好んだもので、ほかに、豊臣秀吉の猛将で「鬼武蔵むさし」といわれた森武蔵守は、この兼定の十文字槍を愛用し、みずから、
── 人間無骨にんげんぶこつ
というぶきみな文字を刻んで、敵を芋のように串刺くしざしにしたものである。
歳三は、その「人間無骨」の故事を知っている。大業物兼定の舞うところ、人間は骨のないものと同然になるのであろう。
「和泉守兼定はないか」
と、毎日歩いた。
「ございます」
と言ったのは、なんと浅草の骨董具屋で、両眼白くめしいた老人である。
「たしかか」
「疑いなさるなら、買って頂かなくともよろしゅうございます」
「いや、その眼で鑑定めききは確かかと申しているのだ」
「刀のことなら」
老人は乾いた声でわらった。
「目明の方があぶない。私は十年前の七十のとしに盲いたが、それ以来、刀を握れば雑念がない。愛宕下の刀師れんぢゅうでも、難物ならこの浅草までやって来て私に刀を握らせるほどです」
「見せてくれ」
老人は、奥から、触れるもきたないほどの古ぼけた白鞘しらさや一口ひとふりを出して来た。
「ごらんなされ」
抜いてみた。
赤さびである。歳三は、自分の顔があおざめてゆくのがわかるほどに怒りを覚えた。が、さあらぬていで、
あたいは、いかほど」
「五両」
歳三は、黙った。しばらくこのひからびた老盲を睨み据えていたが、やがて、
「なぜ、やすい」
と言った。
「これは」
笑った口に、歯がなかった。
やすいのがご不足とは驚きましたな。百両、とでも申せばご満足でございますか」
「なぶるか」
と低い声で言ったが。老人は驚かない。
「刀にも運賦天賦うんぷてんぷの一生がございます。この刀は、誕生うまれた永正(足利末期)のころなら知らず、その後は一度も大名大身のお武家の持物になったことがない。ながく出羽の草深い豪家の蔵にねむり、数百年の後盗賊に盗まれてやっと暗い世に出た。その賊が、手前どものほうに持ち込んだ、といういわくつきのものでございます」
容易ならぬことを老人は明かした。その筋に聞こえれば、手になわのかかる事実はなしだ。それを明かすとは、どういう真意だろう。
「見込んだのさ」
老人はぞんざいに言い、さらに語を継いだ。わざわざ和泉守兼定を探しているという浪人が、盲人の勘で、ただ者ではない、と思ったと言うのである。
「数百年間、この刀はあなた様にいたがっていたのだろう。手前には、あんとなくそういうことがわかります。五両、それがご不満なら差し上げてもよろしゅうございます。お嗤いなさいますか。道具屋を五十年もしていると、こういう道楽もしてみたいのさ」
どこか、伝法な口ぶりがある。ただの道具屋渡世だけの親父おやじではなく、裏では、奉行所おかみの嬉しがらないこともしているのかも知れない。
「これに五両を置く」
と歳三は言った。
2023/08/01
Next