~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
浪 士 組 Part-04
すぐ、愛宕下でがせた。
出来上がったのは京へ出発も近い文久三年の正月である。
こしらえは、実用一点張りの鉄で、鞘は蝋色ろいろ黒漆こくしつ。歳三の指定である。
みごとな研ぎで、たれが見ても紛れもない和泉守兼定であった。
刃文に点々と小豆粒あずきつぶほどの小乱れがあり、地金がひとみを吸い込むように青く、柾目肌まさめはだがはげしくあわだっている。
(斬れる。──)
刀を持つ手が、慄えそうであった。
歳三は、その夜から、沖田総司がいぶかしんだほど、挙措きょそがおかしくなった。
第一、夜、道場に帰らない。
暁方あけがたになって帰って来ると、昼まではぐっすり寝て、夕方になればまた出かけるのである。
「土方さん」
と、沖田は可愛く小首をかしがた。
「やっぱり、あること・・・・なんですねえ」
「なにがだ」
狐憑きつねつき、ってことですよ。お顔までが似てきている。私の知りあいに山伏がいますが、調伏ちょうふくに連れて行って差し上げましょうか」
「ばか」
歳三は、刀に打粉うちこを打っている。
が、暮れはじめて、明り障子を背にしている沖田の顔が、暗くてよく見えない。
「今夜は、何町です」
「───」
「だめですよ、隠しても」
この若者は、気づいているのだ。
ちかごろ、辻斬つじぎりがはやっている。多くは物盗ものとりではなく、攘夷じょうい熱で殺伐になってきたため、浪人剣客が、異人来襲に備えて腕を練る、と称して夜、町に立つのである。
毎晩のように人が斬られた。
被害者の多くは、武士である。このため、武士で、夜中往来する者が少なくなった。
事件は、この小石川辺りにも多い。
彗星すいせいが連夜東の空に向って飛んだこの年末など、小日向こびんた清水谷しみずだにで一件、大塚窪町くぼまちで一件、戸崎町の田圃たんぼで一件、同じ夜にいずれも主人持ちの武士がたおされた。
この年に入って、道場のある柳町の石屋前で旗本屋敷の中間ちゅうげんが斬られた時など、奉行所同心が近藤道場に目をつけてしつこくたずねて来たほどである。
「よくない悪戯いたずらですよ。およしになったほうがいいと思うがなあ、私は。──」
と、沖田はそれほどでもない顔つきで言った。
が、歳三は、その夜も出かけた。
辻斬りが、目的ではない。
そういう男に逢いたくて、歳三は毎夜、うわさの場所を点々と拾って歩いて行く。
ついに出遭った。
いぬノ刻。
歳三が金杉稲荷いなりの鳥居の前を通って久保田某という旗本屋敷の角まで来た時、不意に背後から一刀をあびせられた。
あやうくへいわきへ飛んでくるりと振り向いた時は、すでに和泉守兼定を抜いて、癖のある下段に構えている。
(・・・・・)
歳三は、むっつり黙ったままだ。月があがる。その下で、相手の影は、しずかに左へ移動している。
(出来るな)
と思ったのは、相手が再び刀を納め、右手を垂れたまま、歳三のまわりを、足音もなく歩きはじめたからだ。その足、腰、居合の精妙な使い手らしい。
2023/08/01
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