~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
浪 士 組 Part-05
歳三は眼をこらした。
夜目というのは、間違っても影を見据みす 見据みすえるものではない。影のやや上を見すえれば、物影がありありと視野のふちにうかぶ。夜襲の心得である。
「おい」
と、相手は言った。
いておく。何藩の者か。ついでに名も名乗ってもらえば、供養くようはしてやる」
「ぺっ」
と、歳三はつば・・を吐いた。それっきり歳三は沈黙している。
相手は、歳三の仕掛けを待つ様子であった。間合いは、六尺しかない。双方いずれが一蹶いっけつしても、いずれかが死骸しがいになるだろう。
歳三も、仕掛けを待っている。
こちらが仕掛ければ、その起り・・を撃つのが居合の手であった。
(どう抜かせるか)
居合には、それしか応じ手がない。
歳三は、そっとひざをまげた。
一挙に伸ばした。
その時は塀づたいに一間も飛び退き、同時に脇差わきざしはじけるような早さで抜き、抜いた時は、狂気のように相手との間合の死地なかへ飛び込んでいた。
脇差を投げた。
よりも早く相手はすばやく踏み込み、腰をおとし、白刃をくうにうならせて歳三の頭上、まっこうに斬りおろした。
鉄が、火を噴いた。
いつの間に持ったか、歳三は左拳ひだりこぶしで鉄扇を逆に握って、敵の白刃を受けた。
その時はすでに、歳三の右手浅く握った和泉守兼定が風のように旋回して、男の右面に吸い込み、骨を割り、右眼窩みぎがんかの上まで裂き、眼球がとび出、あごが沈んだ。そのままの姿勢で、男は、顔面を地上に叩きつけて倒れた。即死である。
(斬れる)
その夜が、正月三十日。
数日後の二月八日に歳三ら新徴の浪士三百人は小石川伝通院に終結して江戸を出発、中仙道六十八次、百三十里を踏み歩いて京へのぼったのは、文久三年二月二十三日の夕刻である。
歳三は、壬生みぶ宿所に入った。
そでに、江戸の血が、なおにじんでいる。
2023/08/01
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