~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
清河と芹沢 Part-01
壬生郷、というのは京の西郊で、古寺と郷土屋敷と農家の一集落だが、王朝の頃は朱雀大路すざくおおじの中心街であっただけに、どこか、古雅なにおいを残しているまちである。
歳三たち天然理心流の八人の壮士は、壬生郷八木源之丞げんのじょう方に宿営せしめられた。
「立派な屋敷だ」
と、近藤は大喜びだった。
なるほど、歳三が知っている武州のいかなる豪家よりも、普請ふしんがいい。柱といい、とこといい、一本えらびの銘木がふんだんに使ってあり、前栽せんざい、中庭などは、数寄者すきしゃが見ればふるえの来そうな雅致がある。
とし、みろ、これは名庭だ」
無骨者の近藤が、縁側まで出て、飽かずに眺めている。名庭どころか、この程度の庭なら、京には吐いて捨てるほどあるということは後になって知り、近藤も、
「京はおそろしい」
と複雑な表情をするのだが、この時はただ目を見張っている。
「なあ、歳」
と、近藤は振り向いた。歳三は、立って庭を眺めながら、
「その歳、てのは、もうよそうじゃないか」
と言った。京に来てみると、どうも、近藤は土くさい。土臭いうえに、意外に人間が小さく見えて来る。
「では、どう呼ぶ」
「土方君、と呼んでいただこう。そのかわり、私はあんたのことを、近藤さんとか、近藤先生、とか呼ぶ。初めは少し照れくさいが、ものは形がかんじんだ。我々はもはや武州の芋の子ではない。私は我々の八人の仲間も、年齢と器量を尺度にして、整然とした秩序をつくってゆきたい、と考えている」
「いいことだ」
「むろん、あなたが首領です」
「そうか」
当然だ、という顔をした。近藤は餓鬼大将の頃から、一度も二の次についたことがない。
「そのかわり、首領らしくどっしりと構えてもらわねばならない」
「しかし歳、わしは平隊士だよ」
現実には、そうである。江戸をつ時に清河平八郎が、幕府から目付役めつけやくとして来ている山岡鉄太郎らと相談して隊の制度を決め、それぞれ浪士の中から、組頭くみがしら、監査役などという幹部を任命したが、近藤一派は、近藤以下全員が平隊士であった。
無名の悲しさである。
幹部の中には、もっとも愚劣な例として祐天仙之助ゆうてんせんのすけがいる。前身は博徒ばくとである。平素自分の飼っている用心棒や子分を多数引き連れて入隊したから、自然、五番隊の伍長ごちょう (組頭)になった。
そのほか、根岸友山、黒田桃珉とうみん新見錦にいみにしき、石坂周造など、江戸の攘夷浪人のあいだで虚名を売っている浮薄な(と歳三は思っていた)連中ばかりが幹部につき、天下を取ったような顔で先生づらをしている。国士気取りの議論は達者だが、いざ剣を抜けば腰をぬかすのがおちだろう。
(馬鹿なはなしさ)
歳三は、京へのぼる道中でも、ほとんどこういう連中と口をきかず、ときどき白眼をもって睨み据え、彼らから気味悪がられた。
(こういう烏合うごうしゅうだ。いずれはたか・・がはずれてばらばらになるにちがいない)
その時を待つ。
歳三の闘争は、すでに始まっていた。武州の天然理心流系をもって、この集団の権力を奪わねばならぬ。
(それにはどうすればよいか)
歳三は、終日不機嫌ふきげんな顔で考えていた。
2023/08/02
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