~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
清河と芹沢 Part-02
浪士組は、分宿している。
壬生郷の屋敷は徴発されており、本部は、新德侍。
あとは、寺侍の田辺家、郷士の中村、井出、南部、八木、浜崎、前川の諸屋敷、それに大百姓の家まで占拠し、狭い壬生一郷は、東国なまりの浪士で溢れるようであった。
その夕、到着した二十三日の翌夕、本部の新德寺から使番つかいばんが歳三らの宿所八木屋敷へ飛んで来て、
「新德寺本堂にて清河先生のお話があります。すぐお集まり願います」
と呼ばわってけ去った。
「土方さん、なんでしょう」
沖田が、はしをとめた。
みな、近藤の部屋でめしを食っている。どの膳部ぜんぶにも、壬生菜みぶなの漬物がついていた。
関東には、ない野菜である。
京菜(本菜)の変種で、色が濃緑のうえに葉も菜も粗っぽいが、めば微妙な歯ごたえがしてやわらかい。
── うまい。
と何度もそれを八木家の下女に命じてお代わりしたのは、山南敬助である。歳三はそういう山南を軽蔑けいべつした。
食いものだけでなく、山南は、京のものならなんでも、賛美さんびした。
── さすが、王城の地だ。ここへ来てしみじみ、我々は東国のあらえびす・・・・・だと思う。
と、何度も言った。歳三は、山南が礼讃している壬生菜は、自分の膳部から遠ざけて箸もつけなかった。
(あらえびす・・・・・で結構だ。こんな塩味のきかねえ漬物が食えるか)
むろん、歳三の心底しんそこは、食いものへの嫌悪けんおではない。山南への嫌悪である。
「なに、清河先生が?」
と、山南は箸をとめた。この教養人は、自分が教養人であるかために、博識な弁口家清河八郎を尊敬している。
「諸君、行きましょう」
「まだ、我々は飯を食っている」
と、歳三は言った。
「慌てることはないでしょう。山南さん、清河八郎は我々の主人ではない。世話役にすぐぬお人だ。待たせておけばよい」
「土方君」
と、山南は、無理に微笑をつくった。
「あなたも、せっかく京へ来たのだ。京の言葉は、人の心に刺さらない。そういう心遣いを学ぶ方がいい」
「私は私の流でいくさ」
と、歳三は、むっとこわい顔をして、干魚ほしざかなをむしった。沖田は横合いから、くすくす笑った。
「土方さん、それは私の干魚ですよ。あなたのはそこにあります」
「知っている」
と、歳三は負け惜しみを言った。
他人ひとの膳部の物は旨そうに見えるのさ。私も、京惚きょうぼれの山南さんに真似まね てみたのだ」
2023/08/03
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