~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
清河と芹沢 Part-03
近藤一派は、最後に一わんずつ茶漬ちゃづけを喫してから、ゆっくりと宿所の玄関を出た。
八木家の下男が、門扉もんぴを開いた。とびらには、大名屋敷のようにずっしりとした八双はっそう金具が打ってある。門は武家風の長屋門だが、武州日野の無骨一点張りの佐藤屋敷の長屋門とちがうところは、壁に紅殻べんがらが塗られ、窓に繊細な京格子きょうごうしが嵌められていて、妙に女性的な感じであった。
出たすぐが、坊城通である。歳三らは、通りを横切るだけでいい。新德寺は、八木屋敷のすじ向いにあるからだ。
すでに狭い本堂には、浪士一同が群れ集まっていた。歳三らは、その末席をあけてもらって、かたまって着座した。
本堂須弥壇しゅみだんの右手に、山岡ら幕臣がならび、その横に清河がいる。憮然ぶぜんとして、あごをなでていた。まわりに、清河の腹心石坂周造、池田徳太郎、斎藤熊三郎(清河の実弟)らが、異様に緊張した顔で坐っている。それを見て、
(なにかあるな)
歳三は思った。
三十畳敷の本堂に、燭台しょくだいが五つばかり置かれているほか、あかりというものがない。その薄暗い中で、清河党の石坂周造が立ちあがった。
「諸君、お静かに願いたい。ただいま清河氏より、お話がある」
清河八郎が立ちあがった。背が高い。姿のいい男である。
ゆっくりと、須弥壇の前へ行く。
出羽人らしく色白の上に、目鼻だちがさわやかで、男でもほれぼれするような顔だちであ。北辰一刀流の達人らしく眼が鋭い。気力充溢じゅういつし、態度は満堂を呑んでおり、いかにも不敵な感じがした。なるほど世間が騒ぐだけのことはあった。当代一流の人物と見ていい。
「諸君」
よ言って、清河は大剣を左手に持ち替えた。
「この話は心魂をもって聞いていただきたい。我々一身のことである。我々の碧血へきけつ を何のために流すべきかということだ。諸君はいずれも剽勇ひょうゆう敢死の士である。血を流すことはもとよりいとうまい。しかし道をあやまって流せば、後世ぬぐうべからざる乱臣賊子の汚名を着る。── そこでだ」
清河、一座を見渡した。
もな、かたず・・・をのんで清河を見守っている。清河は、ついに意外なことを言った。
「我々が、江戸伝通院で、結盟したのは、近く上洛じょうらくする将軍たいじゅ(家茂)の護衛たんあとするところにあった。が、それはあくまでも表向きである。真実は、皇天皇基を護り、尊皇攘夷じょういの先駈けたらんとするところにある」
(あっ)
と声を呑んだのは、一同だけではない。清河と手を組んで浪士結成のための幕閣工作をした幕府側の肝煎きもいりたちである。山岡鉄太郎などは、蒼白そうはくになった。清河は、山岡にさえ話していなかったのだ。(山岡という人は、数年後に見違えるほどの人物に成長したが、このころはまだ若く、策士清原の弁才に踊らされるところが多かった)
「我等はなるほど、幕府の召しに応じて集まった。が、徳川家のろくんでおらぬ。身の進退は自由である。ゆえに、我々は天朝の兵となって働く。もし今後、幕府の有司にして(たとえば老中、京都所司代が)天朝に背き、皇命を妨げることがあらば、容赦なく り捨てるつもりである」
2023/08/03
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