~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
清河と芹沢 Part-04
維新史上、反幕行動の旗幟きしを鮮明にあげた最初の男は、この壬生新德寺における清河八郎である。清河は、兵を持たぬ天皇のために押しつけ旗本になり、江戸幕府よりも上位の京都政権を一挙に確立しようとした。いわば維新史上最大の大芝居と言っていい。
「ご異存あるまいな」
一座は、清河に呑まれてしまっている。というより清河に反対するどころか、彼の弁舌を理解する教養を持った者も、ほとんどいない。
そこを、清河はなめている。頭脳は自分に任せておけ、うぬらは自分の爪牙そうがになっておればよい、というはらである。
一同、発言なく散会した。
清河はその夜から、京都の公卿くげ工作を開始し、浪士団の意のあるところを天皇に上奏してもらえるよう運動した。公卿たちは、政治素養は白痴のようなものである。それに時の天子(孝明帝)は、異常なほどの白刃恐怖症におわし、幕府の開港方針に反対しておられた。だから、
「天意を奉じ、攘夷断行の先鋒せんぽうとなる」という清河の建白は大いに禁裡きんりを動かし、「御感ぎょかん斜めならず」と叡慮えいりょが清河らに、下達かたつされた。
清河は、狂喜した。
このままもし時流が清河に幸いすれば、出羽清河村の一介の郷士が、京都新政権の首班になることもあり得たろう。
「歳、どうする」
と、その夜、自室に歳三を呼んだのは、近藤である。近藤は、このころまだ時勢というものがわからず、いわゆる志士どもの論議の用語さえ、よく理解出来なかった。
歳三にとっても、同然である。ついこの間まで、武州多摩の田舎で、八王子の甲源一刀流と田舎喧嘩げんかばかりを繰り返していただけの男である。
しかし、歳三には、近藤にない天賦のカンと、男臭い節義があった。
「あれは悪人だぜ」
と、歳三は言った。その一言が、近藤のこの問題についての疑団を氷塊させた。
「歳、よく言った。清原めはずいぶんむずかしいことを言ったようだが、一言で言えばあれは寝返りだりう。どれほど漢語をならべて着飾ったところで、中身は男としてくさだ。どうすればいい」
「斬る以外にあるまい」
るか」
近藤は、単純である。しかし歳三は、清原をたおすだけでは問題は片付かぬ、と言い、
「新党を作ることだ」
と言った。
「新党を?」
「ふむ、だが我々は八人にすぎぬ。この小人数では、たとい清原を斃したところで、多数から袋叩きにあって自滅するほかない。これには一工夫が要る」
「それにはどうする、歳。──」
「土方君と呼んでもらおう」
「ああ、そうだったな」
近藤は、顔をひきしめた。
歳三は、隣室の気配にじっと耳を傾けていたが、やがて筆紙を取り出して来て、
──芹沢鴨せりざわかも
と書いた。
「これを引き入れねば、事が成らぬ」
芹沢鴨は、水戸脱藩浪士で、当人は天狗てんぐ党の仲間だったと自称しているが、巨躯きょくを持ち、力は数人力はあるという。
神道無念流の免許皆伝で、門弟も取り立てているほどの男だが、始末の悪いことに一種の異常人で、機嫌を損じるとどんな乱暴もしかねない。
2023/08/04
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