~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
清河と芹沢 Part-05
「せりざわ、か」
と、近藤は低声こごえでつぶやいた、この男には道中、不快な目に数度遭っている。これを仲間に引き入れることは愉快ではなかった。
歳三も、愉快ではない。
近藤よりもむしろあの凶悪きょうあくな男を憎むところが深いかも知れないが、この際は、一度は芹沢と手をにぎることがあろの飛躍のために必要だと、歳三は説いた。
「なぜだ」
「まず、あの男の人数だ」
芹沢系の人数はわずか五人だが、いずれも一騎当千といっていい剣客ぞろいで、すべて水戸人であり、流儀は神道無念流である。芹沢はそれらの親分株として浪士組に参加したが、近藤系とは違い、一味のなかから二人の浪士組幹部を出している(芹沢鴨は取締付、新見錦は三番隊伍長。あとは、平間重助、野口健司、比良山五郎)
「それに」
と、歳三は、墨書した「芹沢鴨」の名を指でたたき、
「この男の本名を知っているか」
「知らぬ」
「木村継次ろいう。この男の実兄が木村伝左衛門という名で、水戸徳川家の京都屋敷に詰めている。役目は公用方。よろしいか。公用方とあれば、京都守護職松平中将様公用方と親しかろう」
「それで?」
「京都守護職松平中将(容保かたもり)様といえば」
歳三は、言葉を切って近藤を見た。近藤もわかっている。京都守護職といえば、京都における幕府の代表機関である。
「わかった」
近藤は、嬉しそうな顔をした。
「つまりは、こうか。新党結成の願いを、芹沢を通じて京都守護職さまに働きかけさせるのか」
「そうだ。芹沢は毒物のような男だが、この際は妙薬になる。── そのうえ都合のいいことに」
歳三は紙をまりめながら、
「芹沢一味五人とは、同宿と聞いている」
と言った。これは奇縁と言っていい。偶然な宿割でそうなったのだが、近藤系と芹沢系は、おなじ八木屋敷の一つの屋根の下に宿営していた。もしこういう偶然がなければ、新選組が出来上がっていたか、どうか。
「芹沢先生、話があります」
と、近藤が、中庭一つへだてた芹沢鴨の部屋に入ったのは、そのあとすぐである。
「ほう珍客」
と、芹沢は言った。一つ屋根に下に居ても互いに割拠して、首領同士がろくに話したこともなかった。
芹沢は、近藤の来訪を喜んだ。すでに、したたかに酩酊めいていしていて、
「おい、近藤先生のための膳部を」
と、内弟子の平間重助に命じた上、自分の使っている朱塗りの大杯を洗って、近藤に差した。
「まず、一つ」
頂戴ちょうだいします」
近藤は、酒は呑めない。が、このさい芹沢と同盟できるならば、毒をも飲むべきであった。近藤は、飲み干した。
「お見事。ところで、御用は?」
くだんの寝返り者のことですが」
「寝返り者?」
「清河のことです」
近藤は、呼び捨てた。つい前日までは、清河先生、と敬称していた相手である。
「なんだ、あの小僧のことか」
芹沢は、清河など、もともと意にも介していないふうである。近藤の返杯をうけながら、
「あの小僧、なぜ寝返り者です」
「これは芹沢先生にしてはしらじらしい。そうお思いになりませんか」
「ふむ」
芹沢は首をひねった。なるほど、いわれてみると、清河は、尊皇攘夷という当節の常識論でたくみに問題をすり替えているが、これは大公儀の信頼に対する、武士としての裏切り行為である。
「武士としての、でござる」
「ふむ」
そう説かれてみると、芹沢の頭の中の清河八郎の映像が、芝居にある明智光秀と似てきた。
「斬るか」
と、声をひそめた。
「それについては」
と、近藤は歳三の策を告げた。芹沢は横手を打って喜んだ。
「おもしろい、ぜひやってみよう。これは京で存分に暴れられるぞ」
2023/08/05
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