~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
ついに誕生 Part-01
土方歳三と近藤が、入洛じゅらく後まず熱中したしごとは清河斬りであった。
むろん暗殺・・である。
だれが殺したか、ということがもしれれば、あとの計画である近藤・芹沢両派の密盟による新党の結成がむずかしくなる。
近藤派八人は、毎日、ぶらぶら壬生界隈かいわいを散歩しては、清河の動静をうかがった。
芹沢派五人もこれに大いに協力したが、なにぶん、領袖りょうしゅうの芹沢鴨は粗豪で、こういうきめの細かい探索仕事には向かない。
「近藤君」
と、芹沢は毎日のように近藤の部屋にどかどかと入って来ては、
「面倒ですな、こんなしごとは」
と言った。気が短い。
いつも酒気を帯びている。
話ながら、大鉄扇で、ばしばしとひざを叩くのが癖であった。鉄扇には、
── 尽忠報国
と刻んである。水戸ではやりはめた言葉だ。
「いっそどうだろう」
と、芹沢は急き込んだ。
「闇夜、清河八郎めの宿所にけ入って有無うむをいわさずたっ斬ってしまえば」
「さすがに」
「妙案だろう」
「英雄ですな、先生は」
近藤は、必死の努力で、巧言を言った。このさい芹沢鴨に軽挙妄動もうどうされてはなにもかもぶちこわしになる。
「しかし、自重していただきます。ところで御令兄からのお返事がおそいようですな」
「ああ、守護職にわたり・・・をつける一件か」
「そうです」
「昨日も行って来た。兄も、もうお返事がある筈だと申しておった。あの返事さえあれば近藤君、京洛は君とおれの天下だな」
「私は、朴念仁ぼくねんじんでしかありませぬ」
近藤は苦しい顔つきでお世辞を言った。
「しかし先生は、京洛第一の国士になられましょう」
「おだてても駄目だ」
「私が、人に巧言令色を用いる男だとお思いになりますか」
「それもそうだな」
芹沢は、顔がほぐれた。
近藤は苦しくとも精一ぱいの世辞を言わねばならぬ。これが黒幕の歳三のひいた図式なのである。事を成す迄は、どうしても芹沢鴨という男が必要だった。
── もしみ、近藤さん。
と、歳三は近藤に念を押してある。
── 芹沢がそうしろというなら、足の裏でもあんたはめなばならぬ。ここは、専一にあの男の機嫌きげんをとっておくことだ。
前章で述べた通り、芹沢の肉親縁者は筋目がよく、実兄が水戸徳川の家臣で、しかも好都合なことに、藩の京都における公用方(京都駐留の外交官)をつとめている。その兄から、京都守護職会津あいず中将松平容保の公用方に渡りをつけてもらって、
── 清河八郎を誅戮ちゅうりくしてもよい。
という蜜旨を得たい。それが、いまの時期の近藤系の正念場しょうねんばなのだ。
歳三の観測では、清河の奇怪な寝返りには、幕閣もおそらく憤慨しているだろう(これは当たっていた。歳三の見込んだ通り、老中板倉周防守は、幕臣で講武所教授方の佐々木唯三郎をして秘かに清河暗殺を命じていた)。だから京都における幕府の探題である京都守護職は当然、清河をよろこばない。これは、ばん、まちがいない。
(蜜旨は、かならず下る)
とみて、歳三は、芹沢に運動させる一、清河暗殺の計画を進めていた。
2023/08/05
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