~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
ついに誕生 Part-02
果然、図に当たった。
その翌日である。
京都守護職松平容保の公用方外島とじま機兵衛きへえというものから、
── ぜひ会いたい。
という使いが、芹沢のもとに来た。ただし人目もあることゆえ御内密にという念の行き届いた言葉もついていた。
「これで事が成ったも同然だ」
と、歳三は近藤に言った。無名の浪人剣客が、江戸の幕閣以上の権威を持つ京都守護職にわたり・・・がつく、というだけでも、たいそうな収穫ではないか。
「そうだな」
近藤も、ほおに血がのぼっていた。よほど嬉しかったのか、
「歳、こいつは国元にせるべきだ。ぜひ、そうすべえ」
と、言った。互いの盟友である日野宿名主佐藤彦五郎が喜ぶだろう。京都に着いてからも、彦五郎は、「入用が多かろう」といって、金飛脚かねびきゃくを差し立ててくれている。よき友は持つべきものだ。
翌日、出かけた。隊には、表向き、「市中見物のため」と届け出た。
一行は壬生から東に向かった。同勢は、
近藤勇、土方歳三。
芹沢鴨、新見錦。
の四人であった。
この四人が、数か月後に京を戦慄せんりつさせる男になろうとは、当の四人も気づいていまい。
黒谷の会津本陣に到着した時は、も午後にやや傾くころであった。
「ほう」
と近藤は見あげた。
鉄鋲てつびょうを打った城門のような門が聳えていた。会津本陣おはいえ、ありようは、浄土宗別格本山金戒光明寺こんかいこうみょうじである。が、寺院建築というよりも、丘陵を背負い城郭に似ている。似ているどころか、これにはわけ・・がある。
江戸初期、徳川家は、万一京都に反乱のある場合を予想し、正式の城である二条城のほかに、二つの擬装城をつくった。それが、華頂山にある知恩院と、この黒谷の金戒光明寺である。当節、幕府にとって「万一のとき」が来ている。そのため、会津松平藩を京に駐屯ちゅうとんさせた。本陣は擬装城である金戎光明寺である。徳川氏の先祖の智恵ちえは、二百年余を経て、役立ったと言える。
「芹沢先生、りっぱな御本陣ですな」
「まあ、そうだな」
芹沢は、建物などに興味はない。
大方丈だいほうじょうに通された。
待つほどもなく、中年の眼光鋭い武士が現れて、下座で一礼した。
「わざわざの御来駕ごらいが、痛み入りまする。それがしが、公用方を相つとめまする外島機兵衛でござる。以後、おみ知りおきくだされまするように」
と、いかにも会津藩士らしい古格な作法で挨拶をした。
あとは、酒になった。外島機兵衛は、顔に似合わぬ粋人らしく、他愛たわいもないれごとを言ったり、酔って会津の俚謡りようを、案外可愛いのど・・披露ひろうしたりして、ひとり座もちをした。しかし近藤はこういう座ははじめてのことで、すっかり緊張して固くなっている。
歳三も、眼ばかりぎょろぎょろさせて、にこりともしない。
辞去する時になって、外島機兵衛は例の門の所まで送って来て、
本夕ほんせきは、愉快でしたな」
と、ゆっくり顔をなで、急に声を落とし、
「近藤先生」
と言った。
「はっ?」
文字の一件、よろしく」
それだけを言った。き文字とは、清河のかくしことばである。これで、京都守護職が、清河暗殺を密命したことになる。
2023/08/06
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