~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
ついに誕生 Part-04
ついに好機が来た。
芹沢、歳三の組の時である。日没になっても、清河は、学習院から戻らない。
「どうやら、今夜は首尾がよさそうだな」
芹沢は、板塀の根にふとぶととした尿いばりを放ちながら、言った。そのしぶきが、容赦なく歳三のすそ・・にかかって来るのだが、芹沢は意にもとめない。
歳三は、顔をしかめた。
(いやな奴だ)
避けようとした時、板塀の隙間から見える路上の風景が変った。
提灯ちょうちんの群れが来た。
談笑している。
「清河です」
と、歳三が言った。
「どれどれ、おれにも見せろ」
と、芹沢はのぞいた。のぞきながら、
「四人だな」
と笑った。腹心の連中は、石坂周造、池田徳太郎、松野健次。いずれも、剣で十分町道場ぐらいは開ける男どもである。
「土方君、おれに清河をらせろ」
「では、私は雑草を引き受けます。ただし一撃ですぞ。掛け声をおかけなさらぬように」
「くどいの」
芹沢は、悠々ゆうゆうと用意の覆面をした。歳三も黒布で顔をおおい眼だけを出した。
「土方君、行くぞ」
ぱっと板塀から出た。
芹沢は、抜刀のままけ出した。歳三も走りながら、和泉守兼定を抜いた。
── なんだ。
と、提灯の群は、とまった。前方から、真黒の影が二つ、駈けて来る。
影の一つは、ばかに足音が大きい。まるで地ひびきをたてるような派手な足音だった。
(芹沢め。・・・)
走りながら歳三はその不用意さが腹だたしかった。
が、清河方は、かえってこのあまりにもあけっぴろげな走り方に安堵あんどし、
「どこか、火事でもあるのかね」
と、石坂周造がのんきなことを言ったほどであった。しかしさすがに領袖りょうしゅうの清河八郎はただごとではないとみた。
「諸君、提灯を集めて地上に置きたまえ。そう、二、三歩後へ、そこで待つ」
と言った。
清河の処置はあやまっていない。刺客は提灯のをめざして飛び込むものだ。
まず、芹沢が駈け込んで来た。
地面の上の提灯の群を飛び越えた。
飛び越えながら剣を豪快な上段に舞い上げ、地に足がつくやいなや、清河に向かって、一太刀振り下ろした。
清河は、二歩さがった。
「何者だ」
と言った。動じない。
芹沢は派手に名乗りたいところだろうが、黙った。沈黙のまま、二歩三歩と踏み込み、さらに一太刀振り下ろした。
清河は、受け止めている。
歳三の言う「一撃」はしくじった。
(芹沢め、口ほどもない)
歳三は、そこに跳びちがえながら、石坂、池田、松野にめまぐるしく斬り込んでいたが、これ以上、時はすごせない。いずれはにんに勘づかれてしまう。
石坂周造の太刀をはずすや、それをしおに駈け出した。
芹沢も駈け出した。
高倉通を南下して夷川えびすがわ通を西走し、さらに間之町をぬけ、二条通を東走るし、川越藩の京都屋敷のそばまで来た時、やっと敵をいた。
2023/08/06
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