~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
ついに誕生 Part-05
「芹沢先生、しくじりましたな」
「ふむ」
芹沢は、大息をついている。歳三は喧嘩けんかなれているから、言語動作、平常とちっとも変らない。
(神道無念流の免許皆伝で門弟まで取り立てていたというが、大したことはないな)
歳三のそんな気持ちが伝わったのだろう、芹沢鴨は不機嫌ふきげんになった。
「君がよくない」
と言った。歳三は、むっとした。
「それはどういうことです」
「あのまま、もう二合もやっておれば、おれは清河を斬り伏せていた。が、君が逃げ出したのでみすみす大魚を逸した」
「それは御料簡ごりょうけんが違います。最初からの軍略では、一撃でたおす、しからざれば去る、ということだったはずです」
「君は智者だ」
「私は無学な男ですよ」
「いや、智者である。軍略々々という。所詮しょせんは勇気がない証拠だ」
「なにッ」
川越藩邸の塀から、赤松の影がこぼれ落ちている。
「勇がないかどうか、芹沢先生、お試し願いましょう。抜いていただきます」
「やるか」
芹沢も、抜刀した。
その時塀の向うで人影が立った。
数人、ばたばたと駈けて来た。清河一派だろう、芹沢も歳三も見た。
(いかん)
どちらも肩をならべて逃げ出した。
その翌日。──
清河は、壬生新德寺に、ふたたび浪士隊一同の参集を求めた。
「諸君、喜んでいただく」
と、清河は言った。
「我々の攘夷の素志は天聴に達し、勅諚ちょくじょうまで頂戴ちょうだいした。大挙京へのぼった甲斐かいがあったということである。ところが例の生麦なまむぎ騒動が」
お言った。生麦騒動とは、先般、東海道生麦(神奈川と鶴見の間)で、薩摩さつまの島津久光の行列を英人が馬上で横切ったため、藩士が一人を斬り、二人に深傷ふかでを負わせた事件で、このため幕府と英国との間で外交問題がこじれている。
戦になる、というので、横浜あたりでは家財をまとめて立ち退く町民もあった。
「こじれている。もしイギリスが戦端をひらいた場合、我々はそれを撃ち払う先鋒せんぽうとなる。そのむね、公儀から通達があったため、急ぎ、江戸へ帰る」
それが、幕閣の手だった。
策士清原ほどの者がその手に乗った。この後、得ろに戻ってから浪士隊は「新徴組」と命名され、肝煎きもいり清河は、赤羽橋で、佐々木唯三郎らのために暗殺された。
壬生新德寺の会合で、
「我等は、ことわる」
と立ちあがったのは、近藤、芹沢、土方、新見ら八木源之丞屋敷を宿所とする一派である。すぐ、退場した。
清河の指揮する浪士隊が、京をって再び木曽きそ路を江戸に向ったのは文久三年三月十三日のことで、京における滞在はわずか二十日間であった。
近藤勇一派八人。
芹沢鴨一派五人。
合わせて十三人だけが、宿所の八木屋敷に残留した。
分派した。
分派したと言えば聞こえがいいが、もはや幕府の給与も出ず、なんの身分保障もないただの浪人集団である。
「歳、どうするんだ」
と、近藤は、困ってしまった。食費もない。米だけは宿所の八木家に泣きついて借りたが、いつまでもただめし・・・・は食わせてくれない。
「京都守護職だよ」
と、歳三は言った。歳三にとってはかねての思案どおりであった。芹沢の例の実兄をつかって、京都守護職に運動するのだ。「京都守護職会津中将様御預おあずかり浪士」ということになれば、れっきとした背景も出来、金もおりる。第一、壬生に駐屯している法的根拠が確立するのである。
「妙案だ」
と、芹沢は喜んだ。
「ただし、近藤君、私が総帥そうすいだぞ」
「むろんそのつもりでいます」
当然なことだ。すべては芹沢の実兄あってこそ運動は可能なのだし、第一、水戸天狗党の芹沢鴨といえば、世間に名が通っている。このさい、芹沢を看板としてかつぎあげるしか仕方がなかった。
例の公用方外島機兵衛を通して働きかけると、意外にも即日、歎願の旨がれられ、隊名を「新選組」とすることも、公認となった。
「歳、夢のようだな」
近藤は、歳三の手を握った。歳三はそっと握りかえして、
「事は、これからですよ」
と言った。脳裡のうりに、芹沢の顔がある。
2023/08/07
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