~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
四条大橋 Part-01
清河八郎が去った。
新選組が誕生した。
── 壬生郷みぶごう八木源之丞屋敷の門に、山南敬助のによる「新選組宿」の大札が掲げられたのは、文久三年三月十三日のことである。京は、春のたけなわであった。この陣宿からhpど遠くない坊城通四条の角にある元祇園社もとぎおんしゃの境内の桜が、満開になっている。
きのう今日、壬生界隈かいわいは、花あかりがした。
が、歳三の顔だけは明るくない。
「近藤さん、要は金だな」
と、言った。
歳三のいう通り、京都守護職会津中将様のお声がかりがあったとはいえ、まだ、私党であった。軍用金はどうなるのか。十三人の隊士の食う米塩をどうするのか。
壬生の郷中者は、隊士の服装を見て、みぶろ、壬生浪みぶろ、とあざけりはじめていることを、歳三は知っている。無理もなかった。どの隊士も、まだ旅装のままで、はかまはすりきれ、羽織につぎ・・をあてている者もあった。初老の井上源三郎などは、大小を帯びなければ乞食こじきと見まがうような姿だった。
── 壬生浪やない、身ぼろ、や。
と、蔭口かげぐちをたたく者もあった。
「金が、古今、軍陣の土台だ。── 攘夷じょういがどうだ、尊皇がどうだという議論も大事だろうが」
隊士は、毎日、なすこともないから、山南敬助を中心に天下国家ばかりを論じ合っている。歳三はそれを言った。
「そうか、金か」
近藤には百もわかっている。柳町試衛館のころは、近藤は、苦労といえば金のことだった。江戸でも「芋道場」と蔭口を叩かれたほどの貧乏道場である。妻子が食いかねるときでも養父周斎老人の食膳しょくぜんには三日に一度は魚をつけたが、その魚さえ、もとめかねるときがあった。
「また、日野に頼むか」
と、近藤は言った。入洛じゅらく後、これで二度目である。試衛館のころから、せっぱつまると、武州日野宿名主佐藤彦五郎に無心をいうのが、近藤の唯一ゆいつの経営法であった。
「むりだ」
と、歳三は言った。いかに義兄あに(彦五郎)に無心をいっても、送ってもらえるのは、五両、七両、といったはした金である。
「すぐ飛脚を差し立てよう」
「近藤さん、おれはね」
と歳三はこわい顔で言った。
「考えがある。この壬生に天下の剣客を集め、新選組を二、三百人の大所帯にし、王城下、最大の義軍に仕立て上げたいと思っている」
とし
近藤はおどろいた。かれの構想にはないことであった。この歳三という男は、まるで自分をおどかすためにいつもそばにいるように思われた。
「それには、金」
歳三は、指でトントンと畳をたたいた。
「金だ、筋目の通った金が要る。隊がつかっても費い切れないほどの湯水のようにいてくる金が。── だから」
「なんだ」
「いつも日野から、五両、十両と小金をせびっているようなあんたのやり方を変えてもらわねばならぬ。いっておくが、精鋭二、三百人を養うとなれば、五、六万石の小大名ほどの経費ぞうよが要る。では、あるまいか」
「そ、その通りだ」
小大名、と聞いて、近藤は喜色をうかべ、自分の位置が、いまや京で、天下で、容易ならぬものになりつつあることを改めて気づかされる思いであった。思わず胸がふくらんだ。
「よかろう」
と言った。
「では近藤さん、早速、芹沢をおだて・・・
と言ってから、歳三は、近藤にさしさわりがあると思ってすぐ言葉をかえ、
「いや、芹沢にもう一度働いてもらって、会津侯にまで、その旨を通してもらいたい。今のところ、芹沢は大事なお人だ」
「そうしよう」
近藤は、すぐ、芹沢の部屋へ行った。
2023/08/08
Next