~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
高 瀬 川 Part-01
「総司、人体にんていを見ろ」
と、歳三が言った。
沖田総司が死体のそばにかがみ込んでみると、立派な武士である。
「土方さん、風装、まげ・・などからみて、公卿くげに仕える雑掌ざっしょう、といった者のようですな」
「雑掌か」
京には、そんな武士がいる。公卿侍という者だ。平安朝の昔なら青侍と呼ばれたものだが、近頃はなかなか腕利きを召し抱えている。
武士は、三十五、六。一合か二合、抜き合わせているうちに、五、六人に押し囲まれて討たれたらしい。
旦那だんな
と、この祇園界隈かいわい縄張なわばりにしている御用聞が、顔を出した。
江戸なら威勢のいいはずのこの稼業人かぎょうにんが、意気地なく震えている。この連中も、尊攘そんじょう派の浮浪浪士の跳梁ちょうりょうには、十手を隠して震えているしか手がないのだ。現に去年のうるう八月、幕府のために猟犬のように駆けまわった高倉押小路上ルの「ましらの文吉」という者が、過激な志士たちのために殺され、三条河原に晒されている。
「おい、この者に見覚えはあるか」
「ございます」
「たれだ」
「九条関白様にお仕えする野沢帯刀たてわきという御仁でございます」
(九条家、といえば、猿渡のお佐絵が仕えている公卿だな)
当主は、九条尚忠ひさただ
京都における佐幕派の頭目といわれ、ひどく尊攘派から嫌われているが、これも去年同家の謀臣島田左近、宇郷うごう玄番げんばが暗殺されてから時勢のはげしさに怯え、落飾して政界からひとまず隠退している。しかしなお、尊攘浪士のなかには、執拗しつようにこの一門をつけ狙っている者がいるということは、歳三も聞き及んでいた。
(それで、られたか)
歳三は、立ちあがった。
調べは、それだけでいい。所司代と違って、新選組には、事件の動機、経緯などはどうでもよかった。剣をふるう者には、剣をふるう以外に、新選組の仕事はない。
「相手の人数は何人だ」
「六人でございます。
御用聞きは、見ていたらしい。
「特徴は?」
「三人は長州なまり、二人は土州の風体、じかに手をくだした一人は、どうやら旦那となまりが似ております」
「武州なまりか」
京の尊攘浪士に、武州者はめずらしい。
「どこへ逃げた」
「逃げた、というより、その先斗町ぽんとちょうの通りを北へ悠々ゆうゆうと立ち去りました」
「総司、来い」
と、歳三は歩きだしていた。
(残らずってやる)
木綿の皮色の羽織をぬぎ、くるくるとまるめて、番所に放り込むと、先斗町の狭斜きょうしゃの軒下を歩きだした。
狭い。
芝居の花道ほどの両側に、茶屋の掛行燈かけあんどん京格子きょうごうしあわく照らし、はるか北に向ってならんで、むこう三条通のやみけている。
「総司、からだの調子はどうだ」
「どうだ、とは?」
「働けるか、と聞いている」
沖田総司は、ときどきいやなせきをする。 癆痎ろうがいにでもおかされているのではないか、と歳三は近頃、気づきはじめていた。
「大丈夫ですよ」
沖田は、明るく笑った。
歳三が、念のためにそう聞いたのは、隊に急報して増援を頼む気は、さらさらなかったからである。二人でやる。今のところ新選組の武威を京にあげるのは、少人数で制するほか、ないと歳三はみている。
── ちぎりや。
と掛行燈の出た家から、芸妓げいぎが出て来た。
歳三と沖田は、ぬっと入った。
「会津中将様御預新選組である。御用によってあらためる」
あがりこんでみたが、それらしい者はいない。
五、六軒その調子であらためつつ北上いているうちに、先斗町を過ぎてしまった。
「土方さん、木屋町きやまちじゃありませんかね」
と、沖田は三条橋畔に立っていた。
木屋町とは、これから北にかけての旗亭の街である。
「ふむ」
と、歳三は、沖田の顔色をつじ行燈の淡い灯ですかし見ながら、
「お前、大丈夫か」
と、また念を押した。
顔色が、よくない。
このさき、木屋町といえば、尊攘浪士の巣窟そうくつと」いってもいい町だ。河原町に正門をもつ長州藩邸が、その裏門を木屋町に面して持っている。
もともと、下手人どもはm人数が多い。
その上、町が町だけに、長州藩邸からも加勢が来るだろう。当然激闘が予想される。
沖田の体が、心配だった。闘っれいるうちに咳き込みなどしたら、それが最期さいごである。
「大丈夫ですよ」
沖田は、先に立って木屋町に入った。
2023/08/12
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