~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
高 瀬 川 Part-04
会所に入ると、たった今の「紅次」での騒動をききつけて、町方たちが詰めかけていた。
「壬生の土方と沖田だ。さきほど、四条橋畔で九条関白家の家来野沢帯刀どのを斬った凶賊きょうぞく六人が、紅次で酒宴をしていた。絡めとるべきところ、手向かったので、斬り捨てた。撃ちらした者は一人」
「へっ」
みな、ふるえている。
「番茶はあるか」
「へへっ」
一人が走り出て、すぐ、ますにいっぱい、冷酒をんで来た。
「これは番茶ではないな」
「へい」
「番茶だ、と申している」
歳三は、すごい眼つきをした。やはり、人を斬った直後で、気が立っている。会所の番人が、大きな湯呑ゆのみにそれを入れて来ると、
「総司、飲め」
と言って、表へ出た。番茶が咳の薬にもなるまいが、飲まぬよりはましだろうと思ったのだ。
── 犬が吠えている。
歳三は、南へ向かって歩きはじめた。なるべく、川端に寄った。
高瀬川である。
沖田が後ろから追いついて来た時、ちょうど船提灯ちょうちんをつけた夜船が通った。
その高瀬川の西岸に、北から、長州藩邸、加賀藩邸、対州たいしゅう藩邸、すこし南へくだって、彦根藩邸、土佐藩邸、と、諸藩の京都屋敷が白い裏塀をみせている。
「土方さん、木屋町の会所はね」
と、沖田が小声で言った。
「あれは、長州、土佐になじんでいるから、どことなく、我々に冷たい」
「それが、どうした」
「我々がこの方角に出た、ということを長州藩邸にらせていますよ、きっと」
「総司、疲れたのかね」
「いやだなあ」
沖田は、言った。
「私は、土方さんより丈夫ですよ。まだ一刻は働ける」
歳三は、足をとめた。犬が、あちこちでかまびすしく鳴きはじめた。
「総司、来たようだな」
「後ろ、ですか」
沖田は、前を向いたまま、いた。
「ふむ、後ろだ」
「前にも、いますよ」
二人は歩いて行く。
前後から四、五人ずつ、前の組はゆっくりと、背後の組は急ぎ足で、しだいに間隔を詰めて来た。
「総司、離れろ」
と、歳三は言った。敵に、目標を分散させ、ここは切り抜けるつもりだった。
沖田は、左手の軒端のほうに寄った。道の両端で、二人は同時に立ちどまった。
真中を、人影の群れが歩いて行く。いずれも、屈強の武士である。
それらも、一斉に足をとめた。むきは半分は沖田へ、半分は歳三へ。
「何の用だ」
と、歳三は言った。
「そのほう、壬生の者か」
「いかにも」
「さきほど、紅次において狼藉ろうぜきをはたらいた者であるな」
「詮議をしたまでのこと」
「同志のかたきっ」
抜き打つなり、真二つになっていた。歳三はとびぬけるように、トントンと道の中央に出た。
死骸しがいが、たおれている。
「これ以上、殺生せっしょうは無用だ」
刀をおさめると、すたすた歩きはじめた。
沖田は影ですでに前を行っている。右肩が急にふるえた。
咳をしているらしい。
2023/08/14
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