~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
祇 園「山 の 尾」Part-03
歳三は、部屋のもどって、小者を呼び、茶を淹れさせた。
茶柱が、立った。
「縁起がよろしゅうございますな」
「国でもそういうが、京でも、そうか」
歳三は、茶碗ちゃわんの中を苦い顔でのぞきながら、
(いったい、おれのような男にどんな縁起が来るというのだろう)
── さて、赤沢守人。
歳三は考え込んだ。
死んだ赤沢守人も、じつのところ、歳三はあまり好きではなかった。
新選組にめずらしく、長州脱藩である。
この六月、新選組主力が大坂へ出張した時、天満てんまの仮陣所(京屋・船宿)に駈け込んで来た男で、
── 同藩の者から、侮辱をうけた。
と口上を述べた。ああいう藩には戻りたくありません。戻る気も毛頭ありません。むしろ新選組に加盟し、長州藩の動静をさぐる。そんなお役に立ちたい、と言った。問い詰めると、身分は下関の町人あがりの奇兵隊士で、れっきとした家士ではない。だから藩への忠誠心も、もともと乏しかった。
── よかろう。
と、芹沢も、近藤も言った。
それで、監察部の手に属さしめ、表面は新選組とは無縁のていにして、依然、京都の長州屋敷に出入りさせた。
赤沢は、二つ三つ情報を取って来たが、これが非常に的確で、最初疑っていたように長州が送り込んだ間者ではなさそうであった。(というのは、このところ、長州方の間者として入隊する者が二、三あり、隊内でも摘発騒ぎがあって、御倉伊勢武みくらいせたけ、荒木田左馬助ら疑わしき者が斬られている)
ところが、赤沢。
この男のふところには、新選組から渡された金が潤沢にある。
だから、よく長州藩士や土州脱藩の連中を連れて、祇園、島原といった遊所へゆく。
そういう場所で、長州藩士の口かられた情報を、歳三のもとに持って来るのである。
ところが赤沢の情報には、思わぬ副産物があった。
祇園、島原で遊んでいると、たいていは、新選組の連中と顔を合わせる、というのである。それも芹沢鴨とその一派で、近藤一味は金がないから、ほとんそ姿をみせない。
── ほう、それはおもしろいな。
と、歳三は、そのほうに興味を持った。
「赤沢君、どういう遊びぶりです」
「いや、もう」
ひどいものです、と赤沢は言った。遊興費の踏み倒しなどは、普通であるらしい。
それよりも楼主にとって迷惑なのは、酒乱の芹沢は、酔いがまわると怒気を発して器物を割ったり、隣室の客に狼藉ろうぜきを仕掛けることだった。
このため祇園の某亭などは、町人はおろか、諸藩京都藩邸の公用方たちも足を踏み入れなくなり、の消えたようになっているという。
(やはりそうか)
歳三も、その事は、新選組の世話方会津藩の重役からも、聞いている。
近藤と土方が、三本木の料亭で、会津藩公用方外島機兵衛らと会食した時のことだ。
「近藤先生」
と。外島機兵衛が言った。
「京師では、いかに顕職の士でも、祇園と本願寺、知恩院、この三つの一つにでも憎まれれば約束から失脚する、ということがござる。ご存知でござるか」
「いや、いっこうに迂遠うえんです」
「土方先生は?」
「さあ」
歳三は、杯をおいた。外島は言った。
「代々の所司代や地役人のうたいいなした処世訓でござるが、僧と美妓びぎは、いかなる権門のひいき・・・があるかも知れず、彼らの蔭口かげぐちは思わぬ高いところに届くものです。実を申すとwが主人が」
はっ、とした顔を、近藤はした。京都守護職である会津中将松平容保が?
「芹沢先生の御行状一切、我らよりもよく存じておられる」
「ふむ。・・・」
「両先生」
外島機兵衛は、微妙な表情で言った。
「多くは申しませぬ。この一事、十分お含みくだされますように」
「わかりました」
近藤は言った。
帰路、近藤は歳三に、
「あのように物分ものわかりのいい返事はしたが、外島どのが申されたこと、あれはどういう意味こころだろう」
「芹沢をれ、ということだ」
「しかし、歳、かりにも芹沢は新選組局長であるし、さなくとも天下に響いた攘夷鼓吹の烈士ということになっている。やみやみと斬ってよいものか」
「罪あるは斬る。怯懦きょうだなるは斬る。隊法をみだす者は斬る。隊の名をけがす者は斬る。これ以外に、新撰組を富岳ふがく(富士山)の重きにおく法はない」
「歳、きくが」
近藤は冗談めかしく首をすくめた。
「おれがもしその四つに触れたとしたら、やはり斬るかね」
「斬る」
「斬るか、歳」
「しかしそのときは私の、土方歳三の生涯しょうがいも終わる。あんたの死体の傍で腹を切って死ぬ。総司(沖田)も死ぬだろう。天然理心流も新撰組も、その時が最後になる。──近藤さん」
「なにかね」
「あんたは、総帥そうすいだ。生身の人間だと思ってもらってはこまる。おごらず、乱れず、天下の武士のかがみであってもらいたい」
「わかっている」
そんなことがあった。
2023/08/18
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