~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
士 道 Part-01
「── 土方君か」
局長新見錦は、まゆをけわしくした。
不審である。平素さほど親しくもない副長の土方歳三が、なぜここへ来たのか。
「新見先生、御酒興をさまたげるようですが、邦家のため、御決断をいに来ました」
「決断を?」
「そうです」
歳三は、あくまでも無表情である。
「私に?」
「むろん」
「土方君、君は副長職だ。すこしあわててはいまいか。新撰組には、局長職をとる者が三人いる。芹沢先生、近藤君、それに私。軽微な用ならいずれの局長に相談してもらってもかまわない。わざわざ、こういう場所へ来なくてもよいではないか」
「いや、右両方には相談ずみです」
半ば、うそである。しかしいまごろ屯営では、近藤が、左右に腹心の猛者もさをならばせて、芹沢と膝詰め談判をしているはずだ。だから、芹沢への相談済みというのは、半分、うそではない。
「とにかく」
歳三は言った。
「この件は、新撰組局長であるお三方さんかた御諒承ごりょうしょうが要ります」
「ああ、それなら私はかまわない。君たちに任せておこう」
「たしかに、私にお任せ願えますか」
「ああ」
新見錦は、面倒そうに手をふって、冷えたさかずきをとりあげた。その手のもとを、歳三はじっと見ながら、
「用と申すのは、ほかでもない。新見先生にこの場で、切腹していただきます」
「えっ ──」
手を、佩刀はいとうに走らせた。
「お待ちなさい」
歳三は、手をあげた。
「たった今、それを御諒承いただいた。武士に二言はないはずです」
「ひ、土方君」
「心得ています。介錯かいしゃくの太刀はこの土方がとりま」
「な、なぜ、私が。──」
「御未練でしょう。新見錦先生といえば、かつては水戸の志士として江戸では鳴りひびいたお名前だ。どうか、武士らしく」
「理由を聞いているのだ」
「それは、お任せ願った筈です。芹沢先生、近藤先生、そして新見錦先生、この三局長の御裁断をたった今得た。その三局長の裁断に従い、水戸脱藩浪人新見錦は、押しみ、金品強請を働いたかどにより切腹おおせつけられます」
「待て、屯営へもどる」
「どこの屯営です」
「知れている。壬生みぶの」
「あなたはまだ新撰組局長のつもりでいるのですか。すでにそれは剥奪はくだつかつ除籍されている。それを裁断したのは、さっきまでここにいた局長新見錦だ。いまここにいるそれに似た人物は、すでに局長ではない。不逞ふていの素浪人新見錦。──」
「お、おのれ」
「斬られたいか、新見錦、私は武士らしく切腹させようとしているのだ。その御温情は、会津中将様から出ている」
「うぬっ」
膝を立てるや、抜き打ちを掛けた。酔っている。手もとが狂った。
それを歳三は、持っていた赤沢守人の佩刀でさやぐるみ、はらった。黒塗の鞘が割れ、抜き身が出た。
「この刀は」
歳三は、身構えながら、
「あんたが殺した赤沢守人の差料さしりょうだった。この刀で介錯申しあげる」
い終わった時、すでに、沖田総司が背後に来ている。
同時に隣室の唐紙がからりと開き、斎藤一、原田左之助、永倉新八が、むっつりと顔を出した。
「刀を、お捨てなさい」
お、歳三が言った。
新見錦は、真蒼まっさおな顔になり、膝がふるえているのがありありとみえたが、刀だけは捨てない。
そのとき、はっと、新見の背後に人の気配が動き、ばたばたとけ出そうとした。 振り返りざま、新見は横のはらってその人物を斬った。
血が飛び、手首がばさりと落ちた。どうと倒れ、血の海の中で、狂ったようにわめきだした。新見の馴染なじみおんなである。逃げ出そうとしたのを、新見があやまって斬ってしまったのだ・
妓は、のたうちながら新見をののしった、形相は、鬼女に似ている。
新見は、あきらかに錯乱した。いきなり刀を逆手さかてにもつなり、妓の胸へ突き通した。同時に、どさりと妓の体の上へ尻餅しりもちをついた。妓の死体が、びくりと動いた。
「土方、みろ」
新見も、新選組の局長をつとめるほどの男である。ゆっくりとふところから懐紙を取り出し、それを刀身に巻いた。
「介錯します」
歳三は、背後にまわった。新見は、腹に突き立てようとしたが、容易に手が動かず、畳の上の一点をぎらぎら光る眼で、見つめている。
「原田君、手伝って差しあげなさい」
「はっ」
原田左之助も、故郷くにの伊予松山にいた頃些細な事で、切らいでもの腹を切りかけたことのある男だ。いまでも、腹三寸ほどにわたって、傷口の縫いあとがある。
「御免」
背後から抱きつき、持前の大力で新見の両コブシを上からにぎり、微動だにあせず、
「新見先生、こう致します」
ぐさりと突きたてた。新見の上体が一たん反り、すぐ前かがみになった。しの瞬間、歳三の介錯刀が原田の頭上を走った、前に、首が落ちた。
新見は、死んだ。同時に、芹沢鴨の勢力は、半減した。城でいえば、二の丸がちて、本丸のみが残ったことになる。
2023/08/20
Next