~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
士 道 Part-02
その芹沢は、歳三が新見のもとに赴いたあと、壬生屯営の一室で近藤の士道第一主義の硬論に攻めたてられ、いったんは新見の処罰を諒承するところまで追い詰められていた。
「わかった、わかった」
芹沢は、この小うるさい議論を早く打ち切りたい。この夜、島原へ押し出すつもりでいたのだ。
が、近藤がなおも食いさがって離さなかった。
「芹沢先生、これは大事なことです。念のため申しておきますが、新選組を支配しているのは、何者だとお思いです」
と、近藤は言った。近藤の理窟ではなく、歳三が事前に教えた理窟である。
(何をいうのか)
という顔を芹沢はした。当然、筆頭局長である自分ではないか。
「近藤君、君は正気かね」
「正気です」
「では、言ってみたまえ」
「この隊を支配しているのは、芹沢先生でもなく、新見君でもなく、むろん、不肖近藤でもありません。五体を持った人間は、たれもこの隊の支配者ではない」
「では、何かね」
「士道です」
と近藤は言った。士道に照鑑して ずるなき者のみ隊士たり得る。士道に もと る者は、すなわち死。
そう、近藤は言った。
「でなければ、諸国から参集している 慷慨 こうがい 血気の剣客をまとめて、皇城下の一勢力にすることはできません」
「では、きくがね」
芹沢は、冷笑をうかべた。
「士道、士道というが、近藤君の言う士道とはどういうものだ」
「といいますと?」
「あんたは多摩の百姓の出だから知るまいが、水戸藩にも士道がある。我々は幼少の頃から叩き込まれたものだ。長州藩にもある。薩摩藩にも、会津藩にも、その他の諸藩にもある。むろんそれぞれ藩風によって、すこしずつ違うが、要は、士たる者は主君のために死ぬと言うことだ。これが士道というものだ。新選組の主君とは、たれのことです」
「新選組の主君 ──」
「そう、新選組の主君は?」
「士道です」
「わからないんだな。いまも云った通り、主君を離れて士道などというものはないおのだ。主君のない新選組は、何に向かって士道を厳しくする」
芹沢は、論客の多い水戸藩の出身である。 疎剛 そごう とはいえ、議論の仕方を知っている。
「どうだ、近藤君」
近藤はつまって沈黙した。
(百姓あがりの武士め)
芹沢に、そんな表情がある。
夜、歳三が帰って来て、芹沢、近藤の両局長に、新見錦切腹のことを報告した。これを聞いた芹沢の顔中の、血管が、みるみる怒張した。
「や、やったのか」
芹沢は、議論だけのことだ、と たか ・・ をくくっていた。しかし、眼の前にいる武州南多摩の百姓剣客は、議論倒れの水戸人とはまるでちがう。平然とそれをやってのけたではないか。芹沢は、いま、はじめて見る人種に出会わしたような思いがした。芹沢だけでなく、近藤、土方などのような武士は、日本武士はじまって、おそらくないであろう。
芹沢は、席を って立った。
やがて、水戸以来の配下である三人の隊士を従えて入って来た。
助勤 野口健司
助勤 平山五郎
助勤 平間重助
いずれも、水戸脱藩で、流儀も芹沢と同じ神道無念流の同流の徒である。
三人は、芹沢を取り巻いて着座した。険悪な表情である。
平山五郎などは、刀の 鯉口 こいぐち を切っている。あごをあげ、首を、心もち左へ落としていた。この男が、人を斬る時の癖であった。「目っかちの五郎」といわれた。左目が無かった。 火傷 やけど でつぶれている。癖はそのせいである。
芹沢が言った
「近藤君、土方君。もう一度、新見錦切腹の理由をうけたまわろう」
近藤は、押し黙っている。
歳三が微笑した。
「士道不覚悟」
歳三も近藤も、芹沢のいうようにいかなる藩にも属したことがない。それだけに、この二人には、武士というものについて、鮮烈な理想像を持っている。三百年、怠情と れあいの生活を世襲してきた幕臣や諸藩の藩士とは違い、
「武士」
という語感にいういういしさを持っている。
だけではない。
彼らは、武州多摩の出である、三多摩は天領(幕府領)の地であり、三郡ことごとく百姓である。が、戦国以前は、源平時代にさかのぼるまでのあいだ、この地は、天下に強剛を誇った坂東武者の排出地であった。自然この二人の士道の理想像は、坂東の古武士であった。
脆弱 ぜいじゃく な江戸時代の武士ではない。
「芹沢先生、おわかりいになりませんかな」
歳三が、言った。
「新見先生は、士道に照鑑してはなはだ不覚悟であられた。それが、切腹の唯一ゆいつの理由です。同時に」
「同時に?」
「芹沢先生でさえ、士道に悖られるばらば、むろん、切腹、しからずんば断首」
「なに。──」
目っかちの平山が立ち上がった。
「平山君」
歳三は、ゆっくり手をあげた。
「あんたは、隊内で、戦をする気かね。私がここで手をたたけば、我々の江戸以来の同志が、たちどころになだれ込む」
芹沢一派は引き揚げた。
その夜から彼らは復仇ふっきゅうを企てるべきだったが、別の道を選んだ。酒色に沈湎した。芹沢の乱行は以前よりひどくなった。
2023/08/21
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