~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
士 道 Part-03
新選組局長芹沢鴨は、京においてはまるで万能の王であった。路上で、町人が無礼を働いたといっては、斬った。平隊士の情婦おんなれ、邪魔だ、というたった一つの理由で、その隊士(佐々木愛次郎)を誘殺した。かねがね四条堀川の呉服屋ふとものや菱屋ひしやで呉服を取り寄せていたが一文も払わぬため、催促を受けていた。督促の使いは番頭の時もあったが、菱屋のめかけ が来ることもあった。お梅といった。これを手籠てごめにし、借金は払わぬばかりか、お梅と屯営とんえいで、同棲どうせい同然の荒淫こういんな生活をし、堀川界隈かいわいの町家の評判にまでなった。
歳三は黙っている。近藤も、黙っている。が、計画は着実に進んでいた。討手はすでに決定していた。
近藤勇、土方歳三、沖田雙総司、井上源三郎のwずか四人。
永倉新八、藤堂平助は、選ばれていなかった。この二人は江戸以来の同志で、近藤系の機密にはことごとく参画して来たが、歳三は、なお用心した。彼らは天然理心流ではない。
藤堂平助は北辰一刀流であり、永倉新八は神道無念流である。かつて江戸小日向台こびなただいの近藤道場での食客だったために、近藤の旗本格ではあったが、いわば三河以来・・・・の旗本ではなかった。考慮のうえ、はずされた。
実施は、多摩党でやる。あの貧乏道場をやりくりしてきた天然理心流の四人の手で。
歳三にとっては、この仲間だけが信頼できた。
「しかし、すこし、心もとないな」
と近藤は言った。やるからには、一挙に芹沢派の全員を殺戮さつりくしたい。小人数では、討ち洩らす恐れがあった。
「歳、どうだ」
近藤はそう言って、手習草紙に、
「左」
とおいう文字を書いた。
原田左之助である。
「なるほど、これはいい」
歳三は、うなずいた。猛犬のような男だが、それだけに、近藤への随順は、動物的なものがあった。
近藤は、歳三同席の上で、原田左之助を呼んだ。歳三の口からそれとなく、このごろの芹沢をどう思っているかと、訊きだした。
「快男児ですな」
原田は、からからと笑った。
近藤は、意外な顔をした。考えてみると原田は芹沢と同質の人間である。ただ違う点は、原田は松山藩の一季半季のやと中間ちゅうげんという卑賎 せんから身おこし、少年の頃からつらい目にって来た男だけに、どこか、涙もろい。
「原田君、うちわって言うが、私は、一人で芹沢鴨を斬る」
と、近藤が言った。
さすがに、原田もおどろいた。
「先生お一人で?」
「そうだ、しかしここにいる土方君は反対している。自分も加わるという」
「いかん」
原田は単純だ。
「土方さんのいうとおりです。芹沢局長お一人ではありませんぞ。第一、目っかちの平山がいる。野口、平間という悪達者もいます。万一、先生にお怪我けが があっては、新選組はどうなります。── 土方さん」
「ふむ?」
「ご説得ください。近藤先生は、ご自分お一人の命だとお考えのようです」
「わかった」
歳三はこの男にしてはめずらしく明るい微笑をうかべた。
「原田君、やろう」
「やりますとも」
筆頭局長を斬る、という是非善悪の論議などは、この男の頭にはない。ひょっとすると歳三が考えている新選組の「士道」とは、例を求めれば原田左之助のような男かも知れなった。
原田は、口がかたい。
その日・・・が来るまで、この一件については、近藤、土方とも話題にしなかった。
文久三年九月十八日は、日没後、雨。
たつ下刻げこくから、強風をまじえた土砂降りになった。鴨川荒神口こうじんぐちの仮橋が流出しているからよほどの豪雨だったのだろう。
芹沢は、夜半島原から酔って帰営し、部屋で待っていたお梅と同衾どうきんした。双方、裸形らぎょう で交接し、そのまま寝入った。
島原へ同行していた平山、平間も、それぞれ別室で寝入った。芹沢派の宿舎は、このころ、八木源之丞屋敷になっていた。
道一つ隔てて、近藤派の宿舎前川荘司屋敷がある。
午後十二時半頃、原田左之助を加えた天然理心流系五人が、突風のように八木源之丞屋敷を襲った。
お梅即死。
芹沢への初太刀は沖、起きあがろうとしたところを歳三が二の太刀を入れ、それでもなお縁側へ転び出て文机ふみづくえでつまずいたところを、近藤の虎徹が、まっすぐに胸を突きおろした。
目っかちの平山五郎は、島原の娼妓吉栄と同衾していたが、踏み込んだ原田左之助が、まず、吉栄のまくらを蹴った。
「逃げろ」
原田は、このおんなと寝たことがある。吉栄はわっと叫んで、ふすまを倒してころび出た。
驚いて目をさました平山は、すばやくって佩刀はいとうに手をのばした。
そこを斬った。
肩胛骨かいがらぼねにあたって、十分に斬れない。原田は、暗闇くらやみのなかで、放胆にも、身をのりだして覗き込んだ。
あっ、と平山が鎌首かまくびをたてた。
そこを撃った。首が、床の間まで飛んで、ころげた。
平間重助は逃亡。
野口健司は不在。
この年の暮れ、二十八日に野口は、「士道不覚悟」で切腹。芹沢派は潰滅かいめつした。
2023/08/22
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