~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
再 会 Part-01
同じ年の文久三年、京の秋が、深まっている。
新選組副長土方歳三にとって相変わらず多忙な日常であったが、この男の妙な癖で、半日部屋を閉じたきり、余人を入れない日があった。
隊では、
── 副長の穴籠あなごもり。
蔭口かげぐちをたたいた。たれもが、この穴籠りを不安がった。
(なにを思案しているのか)
またたれかが粛清されるのではあるまいかという不安である。
その日、朝から小糠雨こぬかあめが降った。
九月も、あと残りすくない。すでに新選組では数日前に、局長芹沢鴨の告別式をすませている。死因は、隊内に対しても、会津藩に対しても、病死、とされた。(新入りの隊士の中には、長州人が襲ったのではないか、と臆測おくそくする者もいた)しかし、なにもかも、済んだことである。済んだ。ということは、新選組の隊内生活にあっては、完全な過去であった。隊士のたれもが、きのうのことを振り返る習性はもたなかった。みな、その日を、必死に暮らしている。
その日の午後、沖田総司が市中巡察から戻って来て、式台にあがってから、ふと局長付の見習い隊士を呼び止め、
「土方さんは」
在室か、と訊いた。見習いは、ちょっとかげのある表情をした。
「いらっしゃることはいらっしゃるのですが」
「が? どうなのです」
「はあ」
「応答を明確にしてもらいます」
見習隊士はうまくいえないらしい、どうやら、歳三は、朝から隊士が自室に入るのを拒んでいる様子であった。
「ああ、穴籠りか」
沖田はやっと気づいて、噴出した。悪い道楽だ、そんな顔である。
沖田だけが、歳三が自室に籠ってどういう作業をしているのかを知っていた。この秘密は、近藤でさえ気づいていない。
沖田は廊下をわたり、中壺なかつぼの東側まで来た時、刀を持ち替え、足をとめた。歳三の部屋の前である。
「沖田です」
と障子越しに声をかけた。かけてから、悪戯いたずらっぽく聞き耳をたて、中の物音を聞き取ろうとした。
予想したとおり、あわててなにかを仕舞う物音がした。やがて歳三のせきばいが聞こえて、
「総司かね」
と言った。
沖田は障子を開けた。
「何の用だ」
歳三は華葱窓かそうまどに向っている。窓の前に硯箱すずりばこが一つ。右手の床の間に刀掛けが一基、それだけが調度の、いかにも歳三らしい殺風景な身のまわりである。
「きょう、市中を巡察していますと」
と、沖田は着座した。
「めずらしいひとにいましたよ。たれだかあててごらんなさい」
「私は、いそがしいのだ」
「結構なことです」
沖田は、ゆっくりと歳三のひざもとへ手をのばした。歳三は、はっと防禦しようとしたが、すでにその物品は沖田の手にさらわれている。
草紙である。
沖田はぱらぱらとめくった。内容なか、歳三のくねくねとした書体で、びっしりと俳句が書きとめてある。
豊玉ほうぎょく(歳三の俳号)宗匠、なかなかの御精励ですな」
「ばかめ」
歳三は、赤くなった。
沖田は、くすくす笑った。この若者は知っている。歳三の恥部なの、ひそかに俳句をつくるということは。
「総司、かえせ」
「いやですよ。新選組副局長土方歳三先生が、月に一度、おこりをわずらうようにして豊玉宗匠におもどりになる。それも隊士にかくれて、御苦吟なさる。隊士たちはまさか副長が俳句をつくっているとは存じませんから、いろいろと臆測をして、気にしています。みなに気を使わせるのは、あまりいいことではありませんな」
「総司」
歳三は、手をのばした。
沖田は、畳二畳をとびさがって、句作ちょうを覗き込んでいる。
2023/08/23
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