歳三の田舎俳句は、土方家としては、石田散薬ととともに家伝のようなものだ。
祖父は三日月亭石巴と号し、文化文政のころ武州の日野宿一帯では大いに知られたもので、江戸浅草の夏目成美、八王子宿の松原庵あん星布尼などという当時知名の俳人と雅交があった。
亡父隼人はやとは無趣味だったが。長兄の為三郎は石翠せきすい盲人と号し、江戸までは名はひびかなかったが、近在では大いに知られている。
為三郎は長兄とはいえ、土方家の家督は継がず、次男喜六が継いで、世襲の名である隼人を名乗った。為三郎は盲人だったからである。当時、法によって不具は家督を継げなかったのだ。為三郎は、平素、歳三にも、
「おれは、眼が見えなくてよかった。片っぽうでも眼があいてりゃ、畳の上では死ぬま」
と言っていた。豪胆な盲人で、若い頃府中宿へ妓おんなを買いに行き、帰路、豪雨のために多摩川の堤が切れ渡船の運行とだえた。みな、茫然ぼうぜんと洪水こうずいを眺めている時に、為三郎はくるくる裸にな、着ていたものを頭にくくりつけ、
── 目あきは不自由なものだな。
とそのまま濁流に飛込み、抜き手を切って屋敷のあ石田まで泳ぎ着いたという逸話の持ち主だ。
義太夫ぎだゆうにも堪能たんのうで、旦那だんな芸をこえていたというが、やはり得意は俳諧はいかい、気性そのままの豪放な句をつくった。
歳三は、それに影響されている。
ところがこの男の気質にも似合わず、出来る句は、みな、なよなよした女性的なものが多い。むろんうまい句ではない。というより、素人しろうとの沖田の眼からみても、おそろし下手、月並みな句ばかりである。
「ふふ」
沖田は、のど奥で笑った。
── 手のひらを 硯すずりにせんや 春の山
(あの頭のどんな場所を通ってこんなまずい句が生まれてくるのだろう)
菜の花の すだれ・・・に昇る 朝日かな
人の世の ものともむえぬ 馬の花
春の夜は むつかしからぬ 噺はなしかな
(ひどいものだ)
沖田は、うれしくなっている。沖田のみるところ、歳三もっている唯一ゆいつの可愛かわいらしさといいうものなのだ。もし歳三が句まで巧者なら、もう救いがな。
「どうだ」
歳三は気恥ずかしそうにしながら、それでも沖田のほめ言葉を期待している。
「ああ、この句はいいですな」
沖田は、一句を指した。
「どれどれ」
「公用に 出て行く道や 春の月。いかにも新選組副長らしい句です」
「そうかい。そいつは旧作だが。ほかに気に入ったのがあればいってくれ」
「ええ」
と視線を落としてから、不意に笑いだした。
「年礼に 出て行く空や 鳶とんび、凧たこ」
「ほうそれが気に入ったのか」
「まあね」
沖田は、なおも笑いをこらえて読む。
(これもひどい)
── うぐひすや はたき・・・の音も つひ止やめる
「気に入ったかね」
「土方さんは可愛いな」
沖田は、ついまじめに顔を見た。
「あにを云いいやがる」
歳三、あわてて顔をなでた。
沖田はなおも、ぱらぱらとめくって、ついに最後の句に眼をとめた。
墨のぐあいから推して、たった今苦吟していたのが、この句であるらしい。
(大変な句だな)
真顔で、じっと見つめている。
歳三は何気なく覗き込んで、
「あ、これはいかん」
と、取りあげた。取るあげるなり、そそくさと筆硯ひつけんや句帳を片づけて、
「総司、もう出て行け。おれはいそがしい」
と言った。沖田は動かない。
「その句。──」
と、歳三の表情を注意深く見ながら、
「たれを詠よみこんだものです」
「知らん」
── 知れば迷ひ
知らねば迷はぬ恋の道
と、句帳には歴々と書いてある。
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