~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
再 会 Part-04
ほどなく小者が屯営へ迎えに来た。
その男の案内で、歳三は壬生を出たのである。
出る時、沖田は、ひとことだけ言った。
「土方さん、いまの京は化物ばけものの都ですよ」
気を許すな、という意味だろう。沖田には不安な予感があるらしい。
綾小路あやのこうじを東へどんどん歩き、麩屋町ふやまちまで出て、やっと北へあがった。その西側の露地。
古ぼけた借家である。
「こんなところに住んでいるのか」
奥の一室に通され、すわった。調度品を見わたすと、どうやら、女の独り住居らしい。
「粗茶でござりますが」
と、小者が茶を出した。
「佐絵どのは、いずれにおられる」
「へい、ただいま」
言葉をにごした。
「ここは、佐絵どののお住まいか」
「いいえ、お住居は、ずっとしもの方やと伺うております」
「伺うて、というとそちは知らぬわけだな」 「へい」
賃でやとわれた男衆おとこしらしい。
その証拠に、やがてどこかへ姿を消してしまった。
一時間はんときは過ぎた。
(妙だな)
あたりは、薄暗くなりはじめている。不審を抱いて、歳三は立ち上がり、まず、古びた衣裳箪笥いしょうだんすをあけてみた。
から・・である。
表へ出て、隣家の女房に、このあたりの家主はたれか、と聞くと、へい、室町の野田屋太兵衛というものどす、と答えた。
「この家は、空家か」
「へい、ながいあいだ空家どしたけど、ちかご、さる公卿ごつさんの御家来がおおかりやしたとかきいています」
(やはり、京には化物が住む)
もう一度、中へ入った。
ほどなく格子戸こうしどがあいて、佐絵が提灯ちょうちんをつけたまま土間を通り抜けて来た。
「・・・・・?」
歳三は、暗黒な座敷に坐ったまま、身じろぎもしない。
「土方さま?」
まぎれもない、佐絵の声である。
「遅くなりました」
「これは」
歳三は声を低めて、
「どういう仕掛けかね」
「ここ?」
佐絵は明るく言った。
「わたしが、お里下さとさがりのときに、ここを休息所に使っています」
「たしかに使っているのかね」
「ええ」
「それにしては、箪笥はから・・だな。畳も、なんとなくかび・・くさい」
歳三は用心をして立ち上がって、土間におりた。佐絵、顔見あわせた。
「たしかに」
と、佐絵のあごに指をあてた。
「顔だけは、武州六社明神の佐絵といわれた女にまぎれもないが、京にのぼってからどこかに尻尾しっぽが生えてきたのではあるまいな」
「いやなことを申されま」
「いやなもんか」
歳三は眼だけで笑った。
「近頃の京はこわい。いかに関東のひととはいえ、考えてみれば、猿渡家も京に縁の深い社家だし、代々の国学者の家でもある。しかもそなたは公卿奉公をしている。妙な議論に染まっておらぬともかぎらぬ」
「まあ」
佐絵は興ざめた顔をした。
「それが、この借家とどうつながりがございま?」
「わしをおびきだし、わな・・をこの借家に仕掛けたのではないか」
「帰りま」
佐絵は、きびすを返しかけた。
「帰さぬ」
歳三は佐絵の手をつかんだ。
いや。あきれています。わたくしはむかし、としと呼んでくれ、といったころの歳三さんにいに来たつもりでございましたのに、ここに待っていたのは、新選組副長土方歳三という途方もないばけものでした」
「動くな」
歳三の疑いは、一瞬で晴れた。
佐絵を引き寄せようとした。手から、提灯が落ちた。
佐絵は身をよじった。
「厭。厭でございます」
「わるかった」
とは、歳三は言わない。
ただ、犯すことを急ぎたかった。体を合わせてしまえば、この不安は解けるだろう。歳三は早く、この眼の前にいる他人を、自分のおんなに戻してしまいたかった。
ろ」
座敷へひきずりあげた。
「六社明神の祭礼の夜にもどるんだ。おれは、日野宿石田在の悪党ばらがきさ」
機嫌きげんをとるように言った。
「そんなの、もう」
「もう?」
「遅い。もう厭でございます」
それでも佐絵の抵抗は、次第に弱いものとなったが、なお、体が固い。
(妙だな)
と思う疑問が、なお歳三の脳裡のうりにかすかにある。佐絵の言動のどこかが、すさんでいる。
以前は、もっと清雅な女だった。それが百姓剣客のころの歳三の気に入っていた。
たしかに佐絵は変った。京都の公卿奉公をすればもっとみがきがっかるはずなのに、これはどうしたわけだろう。
(いずれ、体をみればわかるはずだ)
歳三の手の動きが、優しくなった。疲れたのか、佐絵の体が、畳の上にしずまった
2023/08/26
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