~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
局中法度書 Part-02
この年の十二月、幕府は浪士取締令を出した。京坂に流入してくる不穏の浪士は、見つけ次第捕殺する。
理由は、近く将軍家茂いえもち入洛じゅらくする。京の治安は、武をもってしずめておかねばならない。
「そういう次第です」
と、近藤は隊士一同を集めて言った。
「大公儀の威武をもって、浮浪を一掃し、かしこきことながら、禁闕きんけつの御静安をおまもりする。いよいよ今日から、王城の大路小路が新選組の戦場であることを心得られたい」
新選組が文字通り悪鬼のような働きをしはじめたのは、この時からである。毎日、京に血の雨を降らせた。
人数ざっと百人。
むろん一流の剣客ばかりではない。未熟者もおれば、怯者きょうしゃもいる。戦場の場でおくした者は、あとで必ず処罰した。処罰、といっても在来の武家社会にあった閉門、蟄居ちっきょといったなまぬるいものではない。すべて死罪である。一にも死、二にも死。三百年れあいごとで済ませて来たこの当時の武士の目から見れば、戦慄せんりつすべき刑法であった。
隊士にしてみれば、乱刃のなかで敵に斬られるか、それとも引き揚げてから隊内で斬られるか、どちらかであったから、決死の日常である。
「すこし、きびしすぎはしまいか」
と、ある日、一日に三人も斬首ざんしゅ、切腹の被刑者が出た時山南敬助が、近藤歳三の前で言ったことがある。
話が前後するが、これよりすこし前、芹沢鴨との係累けいるいを一掃した直後、隊における山南敬助の処遇がかわっている。それまでは、歳三とおなじ副長であったが、
「総長」
ということになった。昇格した。序列でいえば局長近藤勇、総長山南敬助、副長土方歳三とおいうことになる。
この昇格は、歳三が近藤に献言したことだ。
── ぜひ山南を。
というと近藤はこの時ばかりは喜んだ。歳三が山南を好いていないことは近藤の苦の種になっていたのである。その歳三が山南のために「総長」という特別な職名をつくり、自分の上に置くという。
── とし、雨が降るよ。
と言ったほどだ。
── 降らねえ。
と、歳三は無表情に言った。「総長職」とは名の響きは上等だが、実質は、近藤個人の相談役、参与、参謀、顧問、といったもので権限がない。いやもっと重要なことは、この響きのいい職名には隊士に対する指揮権がないことである。指揮権は、局長─副長─助勤─平隊士、という流れになる。現在いまの言葉で言えば、総長山南敬助は、近藤のスタッフであって、ラインではないのである。
歳三、山南をてい・・よくたなに上げた。飾り達磨だるまにした。山南もはじめは喜んだが、次第にその職の本質がわかってきて以前以上に歳三を憎むようになった。だけでなく、近藤に、
── もとの副長に戻してください。
と頼み、近藤もその気になって歳三に相談した。
── 歳、あれ・・を格下げしてやらんか。
── いや、あれでいい。
と、妙な例をひいた。
歳三は、少年のころ、家伝の石田散薬の原料を採集したり製剤したりする時には、夏の農閑期のときでもあって村中の人数を使うのだが、その指揮を十二、三の年からやった。そのころの経験で、長兄や次兄がうろうろやって来て口を出すたびに作業の能率がおちたことを覚えている。命令二途からも三途からも出ることになるからだ。
── 副長が二人居ちゃ、そうなる。近藤さん、あんたの口から出た命令がすぐ副長に響き、助勤に伝わり、電光石火のように隊士が動くようにならねば、新選組はにぶくなるよ。組織は剣術とおなじだ。敏感でなければだめだ。それには副長は一人でいい。
こては、歳三の独創である。幕府、藩の体制というのは、たとえば江戸町奉行でも二人制をとっていたように、どうおう職でも複数で一つの役目をつとめた。このことは、当時日本に来た外国の使臣がみな奇異の念をもったことだ。その陋習ろうしゅうを、新選組は苦もなく破っている。
── 隊を強靭きょうじんにするためだ。そのかわり、山南さんを栄職で飾っている。
と、歳三は言った。
それは余談。
2023/08/31
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