~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
局中法度書 Part-04
深夜までかかって、五ヵ条が出来た。
一、士道にそむくまじきこと。
二、局を脱することを許さず。
いずれも、罰則は、切腹である。第三条は「勝手に金策すべからず」。第四条は「勝手に訴訟(外部の)取扱うべからず」。
第五条は「私の闘争をゆるさず」。右条々相背きそうろう者は切腹申しつくべく候なり
さらに、この五ヵ条にともなう細則をつくった。
そのなかに妙な一条がある。この一条こそ新選組隊士に筋金を入れるものだ、と歳三は信じた。
「もし隊士が、公務によらずして町で隊外の者と争い」
というものである。
「敵とやいばを交わし、敵を傷つけ、しかも仕止めきらずに逃した場合」
「その場合はどうなります」
「切腹」
と、歳三は言った。
沖田は、笑った。
「それは酷だ。すでに敵を傷つけただけでも手柄てがらじゃないですか。逃すこともあるでしょう。逃しちゃ切腹というのは酷すぎますよ」
「されば必死に闘うようになる」
「しかしせっかくご苦心の作ですが、藪蛇やぶへびにもなりますぜ。隊士にすれば敵を斬って逃すよりも、斬らずにこっちが逃げた方が身のためだということになる」
「それも切腹だ」
「はあ?」
「第一条、士道に背くまじきこと」
「なるほど」
隊士にすれば一たん白刃はくじんを抜いた以上、おもてもふらずに踏み込み踏み込んで、ともかく敵を斃す以外に手がない。
「それがいやなら?」
「切腹」
「臆病なやつは、隊が恐ろしくなって逃げ出したくなるでしょう」
「それも第二条によって、切腹」
これが、公示された。
若い血気の隊士はこれを読んでむしろ飛瀑ひばくはだくをうたれるような壮烈さを感じたようであったが、加入後、まだ日の浅い年配の幹部級に、ひそかな動揺がみられた。こわくなったのである。
歳三は、その影響を注意深い眼で見ていた。果然、脱走者が出た。
助勤酒井兵庫である。
大坂浪人。神主の子で、当人は隊ではめずらしく国学の素養があり、和歌をよくした。
脱走した。
歳三は、監察部の全力をあてて、京、大坂、堺、奈良まで捜させた。
やがてそれが、大坂の住吉明神のさる社家のもとにかくまわれていることがわかった。
「山南君、どうする」
と、近藤は相談した。
山南は、助命を申し述べた。山南は平素、酒井兵庫に自作の歌の添削を頼んだりしていた仲である。
近藤は、斬りたかった。酒井は、助勤として隊の枢機すうきに参画した男だから、機密を知っている。世間にれれば新選組としてはともかく、るいが京都守護職におよぶ。
「歳、どうだ」
「歌がどうの、機密がどうのと論に及ばぬことだ。局長、総長自ら、局中法度書を忘れてもらっては困る」
「斬るか」
「当然です」
すぐ、沖田総司、原田左之助、藤堂平助の三人が大坂へ下向げこうした。
住吉の社家に酒井兵庫を訪ねた。
酒井は観念して抜きあわせたらしい。
その刀を原田がたたき落とし、境内の闘いを避け、酒井を我孫子あびこ街道ぞいの竹藪まで同道して、あらためて、刀を渡した。
数合で、闘死した。
以後、隊は粛然とした。局中法度が、隊士の体の中に生きはじめたのは、この時からである。
やがて、年が改まった。
2023/09/01
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