~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
池 田 屋 Part-01
薪木くろき買わんせ
くろき、召しませ
大原女おはらめが沈んだ声をあげて河原町通を過ぎたあと、その白い脚絆きゃはんを追うようにして、日和雨そばえがはらはらと降ってきた。
「静かですな」
沖田総司が言った。
絵のような、京の午後である。元治げんじ元年の六月一日。
祇園会ぎおんえも近い。
歳三と沖田は、たったいま大原女が通った軒先の二階にいる。
河原町四条の小間物屋茨木いばらぎ四郎兵衛の階上で、薄暗く、かびくさい。二階一ぱいに、品物が積み上げられている。
この二階は河原町通に向って、むしこ・・・窓がひらいていた。沖田は、そこから街路を見おろしている。
「朝から、三人ですよ。一人は武士、二人はこしらえは町人体だが、武士くさい」
と、干菓子ひがしを食べながら言った。
「そうか」
歳三は、たったいま上って来たばかりである。
このむしこ・・・窓から見おろすと、河原町通の東側の家並、そこから東へ入る無名小路の人の出入りがよく見えるのだ。
その無名小路を廻ら町通から入って、家数にすればざっと五、六軒いった右側に、
枡屋ますや
という道具屋がある。
そこを見張っている。見張りは沖田だけではない。
監察部の山崎すすむ、島田かい、川島勝司、林信太朗などは、薬売り、修験者しゅげんじゃなどに変装して界隈かいわいをうろついているし、無名小路を通り抜けた西木屋町の通りにも、原田左之助が、町家を借りて、路上の人のを見張っている。
「しかし、いやだなあ、見張りなんてのは、私のしょうにあいませんよ」
「そうだろう」
沖田は、そういう若者だ。人の非違を見張るというのは、いくら隊務でも性にあうまい。
「まあ、我慢しろ。あす、交替させる」
「必ず?」
菓子を一つ、口に入れた。
のんきな男だ。
歳三は苦笑して、
「そのかわり、今日一日は懈怠げたいしてもらっては困る」
「しかしどうかなあ。いや、私のことじゃないです。枡屋のおやじのことですよ。── 風の夜をえらんで」
「ふむ」
「ええ、風の夜にですよ。
沖田は菓子をのみくだし、
「京の市中の各所に火をかけ、数十人狩り集めの浪人で御所に乱入して禁裏きんりさまを盗み出し、長州へ連れて行って討幕の義軍をあげようというのでしゅ? 大体、出来る事じゃないですよ。そんな途方もないことを考えるというのが、そもそも、ふいぎな頭をもっている。土方さん、ほんとうは、枡屋、狂人じゃないですか」
「正気だろう。血気の人間が集まって一つの空想を何百日も議論しあっていると、それが空想でなくなって、討幕なんぞ、今日にも明日にも出来あがる気になってくるものだ」
「つまり、狂人になるわけでしょう、集団的に。妙なものだな」
「妙なものだ。が、集団が狂人の相をおびてくると、何を仕出かすかわからない」
「新選組も、同じですな」
沖田はくっくっ笑って、
「土方さんなど、狂人の親玉だ」
「何をいやがる」
こわい顔をしてみせた。が、沖田は、新選組の隊中で鬼神のようにおそれられているこの歳三が、ちっともこわくない。沖田総司という、この明るすぎる若者の眼から見れば、歳三が力めば力むほど、壬生みぶ狂言でやる黙劇パントマイム熊坂長範くまさかちょうはんのような滑稽こっけい感をおびて映ってくるのだろう。
「総司、少ししまれよ」
にがい顔で言った。
「その、京に放火して一せいに蜂起ほうきするという浪人が、五十や六十人ではない、という情報ききこみもある。これをどう鎮圧するかが、新選組が天下の新選組になれるかどうかの正念場しょうねんばになる」
「一つ、いかがです」
沖田、歳三の手に菓子を握らせ。歳三はいまいましそうに口へほうりこんで、外へ出た。
そのあと、原田左之助の見張所を訪うて報告を聞き、さらに高瀬川沿いの路上で、薬売りに変装した監察、山崎烝とすれ違った。山崎は、眼を伏せて歳三のそばを通り抜けた。うまい。山崎は剣も相当なものだが、もとが大坂高麗橋こうらいばし針医はりいの息子だけに、町人姿が堂に入っている。
山崎とすれ違ったあと、歳三は木屋町三条で辻駕籠つじかごをひろい、壬生へ帰った。
2023/09/02
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