~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
池 田 屋 Part-03
この席で岸淵は、意外なことを言った。
「わが藩(水戸)はご存じのように政情の複雑な藩で、藩士は様々な考えを持って睨み合っている。だから風説が入りやすいのですが、昨夜、容易ならぬことを耳にした」
それが、枡屋喜右衛門であるという。
道具屋枡屋貴右衛門、じつは長州藩士のなかでも大物の古高ふるたか俊太郎(江州物部ものべ村の郷士で、毘沙門堂びしゃもんどう門跡もんせきの宮侍)の化けおおせた姿であるという。
「しかも」
と岸淵は言った。
「蜂起のための武器弾薬は、この枡屋の道具蔵に集めてある。これは本圀寺の水戸藩本陣ではたれでも知っている」
蜂起派も疎漏な計画をしたものである。岸淵が近藤、歳三に告げた同じ日、枡屋の使用人利助という者が、町年寄の家へ、
── おそれながら、
と、右次第を訴え出た。利助はほんの昨今のやとわれ者で、蔵に鉄砲、煙硝、刀槍とうそうなどが積み上げられているのいを見て驚き、るいが自分にかかるのをおそれて、いちはやく訴人して出たという。
町年寄は、顔見知りの定廻じょうまわり同心へらせ、その同心渡辺幸右衛門という男がたまたま新選組出入りであったので、自分の役所に告げず、壬生屯所とんしょに一報してきた。
「すぐ、会津藩本陣に報せよう」
と近藤が言うのを、歳三がおさえた。
「まず新選組独自の手で探索してからのことだ」
もし事実なら、新選組、壬生の田舎でほそぼそと結盟して以来の大舞台がここに与えられるではないか。
(むざむざ、会津藩や京都見廻組の手柄てがらにすることはないさ)
近藤と歳三が、営々として作りあげてきた新選組の実力を、世に問うことが出来る。
翌夕刻、探索の連中が帰って来た。
くせえ」
原田左之助が言った。この男も探索に向かないのか、臭え臭え、というだけである。
沖田はにやにや笑っていた。山崎、島田、川島といった連中はさすがに監察に席をおくだけに、くわしい聞き込みを報告した。
「すぐ、土方君」
近藤は、出動を命じた。が、歳三は動かなかった。
「新選組の晴舞台だ。局長、あんたが現場に床几しょうぎをすえるべきだろう。私は留守をする」
「そうか」
三人の助勤が選ばれた。沖田総司、永倉新八、原田左之助。その組下の隊士合わせて二十数人が動いた。現場に着いた時は、とっくに日が暮れている。
近藤という男は、やはり常人ではないところがある。
隊士を四手にわけて、無名小路の東西の口および裏、表口にそれぞれ配置したところまでは普通だが、まず利助に戸を叩かせ、女中があけるや、たった一人飛び込んだ。
暗い。が屋内の様子は、利助から聞いて十分頭の中にある。
二階八の間に駈けあがるや、すでに寝ていた古高俊太郎のまくらもとに突っ立ち、
「古高」
とかん高い声で叫んだ。
「そちはひそかに浮浪の者を嘯集しょうしゅうし、皇城下で謀反むほんくわだつるやに聞きおよんだ。上意である。なわにかかれ」
「どなたです」
古高も、これまで何度も白刃の下をくぐり抜けてきた男である。落着いている。むしろ近藤の方が、うわずった。
「あなたが。──」
ちらっと見て、
「支度をす。不浄な縄を受くべ理由はないゆえ、逃げもかくれもせぬ。しばらく猶予ゆうよをねがいたい」
悠々ゆうゆうと寝巻をぬぎ、紋服に着替え、びん・・きあげ、女中に耳だらい・・・を運ばせて口まですすいでから、
「いずれへ参ればよい」
と立ちあがった。
この間、階下を捜索していた隊士は、古高の同志一同の連判状を発見している。
2023/09/03
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