~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
断 章・池 田 屋 Part-02
さっそく、二階で酒宴がはじまった。
議題はまず、
「古高俊太郎をどう奪還する」
ということである。
つぎに予定の計画であった「烈風に乗じて京の各所に火を放ち、御所に乱入して天子を奪って長州に動座し、もし余力があれば京都守護職を襲って容保かたもり斬殺ざんさつ」するという「壮挙」を、古高逮捕によって中止するか、決行するか、ということである。
土州派の連中は過激で、
「相談もくそもあるか。事ここまで来た以上今夜にも決行しよう」
と主張した。
「それは暴挙すぎはしまいか」
こう押しとどめたのは、京都、大和、作州の連中だったらしい。
もっとも多数を占める長州側は、粒選つぶよりの過激派ばかりだが、ただ事前に、京都留守居役(京都駐在の藩の外交官)桂小五郎から、くぎをさされている。時期ではない、というのである。酒がまわるにつれて本来の過激論の地金が出てきた。
階下では、薬屋に化けて表の間に泊まっている新選組監察山崎烝が、
「ぜひ、配膳はいぜんを手伝いましょう」
と、台所で働いている。元来、大坂の町家の生れだから、こういうことは如才がない。主人の池田屋惣兵衛(事件後獄死)まですっかり騙されていた。
山崎は、酒席にまで顔を出して、女中どもの指揮をした。京には、町家の酒席を運営するために配膳屋という独特の商売があって、山崎はいわば臨時の配膳屋を買って出たのである。
宴席は、表二階の奥八畳の間で、なにぶんにも二十数人が着座すると、狭い。みんな、ひざを半ば立てるようにして坐った。そのおのおのの左に、佩刀はいとうがある。邪魔になる。とくに女中が配膳してまわるとき、とほど気をつけなければ、足に触れるかも知れない。
「いかがでございましょう」
山崎は言った。
「万一女中衆おなごしどもがお腰のものに粗忽そこつを致しては大変でございます。次の間にまとめてお置きくださいましては」
「よかろう」
一人が渡した。山崎はうやうやしくささげて次の間に置き、あとはろくに挨拶もせずにどんどん隣室へ移し、それをまとめて押入れに収めてしまった。
一座のたたれもが、このことに不用心を感じなかった。わずか二十数人で京をあわよくば占領しようという壮士どもが、である。
彼等は、近藤の手紙にもあるように「万夫不当の勇士」ではあったが、計画がおそろしく粗大すぎた。陰謀、反乱を企てるような緻密ちみつさは皆無だったといっていい。
彼等は大いに飲み、大いに論じた。しかし酔えば酔うほど、議論がまとまらなくなり、互いに反駁はんぱくしあった。それがまた彼等の快感でもあった。考えてみればこれは諸藩の代表的論客を集めすぎた。
一方、祇園実成院前の会所では、近藤、土方らがいらいらしている。彼等もまた、
「出動は五ツ」
ということで、京都守護職(会津藩)と約束してある。その会津藩、所司代、桑名藩などの人数二千人以上がその時刻を期して一斉いっせいに動くはずであったが、動員が鈍重で、まだ市中に一人も出ていない。藩の軍事組織が、三百年の泰平でここまで鈍化してしまっているのである。
「諸藩、頼むに足らず」
歳三が、近藤に決心をうながした。近藤は無言で、立ちあがった。
すでに、午後十時である。
とし、木屋町(丹虎)へ行け」
歳三は、鉢金をかぶった。鎖のしころ・・・が肩まで垂れている。異様な軍装である。
「武運を。──」
と歳三は、眼庇まびさしの奥で微笑わらいかけた。近藤も、わらった。少年のころ、多摩川べりで歳三と遊んだ想い出が、ふと近藤の脳裡のうりをかすjめた。
だっ、と歳三は暗い路上へ出た。
近藤も、表へ。
ついでながら、歳三の隊はまず木屋町の丹虎を襲ったが、しかし敵がそこにいなかった。
近藤の方は池田屋へ直進した。
2023/09/05
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