~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
断 章・池 田 屋 Part-03
池田屋では、薬屋の山崎が、ひそかに大戸の木錠もくじょうをはずしてしまっている。
二階ではすでに酒座が開かれてから二時間になる。酔いが十分まわっていた。
近藤は、戸を開いて土間に踏み込んだ。つづくのは、沖田総司、藤堂平助、永倉新八、近藤周平、それだけである。あとは、表口、裏口のかためにまわっている。
「亭主はおるか。御用改めであるぞ」
惣兵衛が、あっと仰天ぎょうてんし、二階への段梯子だんばしごを二、三段のぼって、
「お二階のお客様、お見廻りのお役人の調べでございますぞ」
と大声で叫んだ。
その横っつらを近藤は力まかせになぐりつけた。亭主は、土間にころげた。
その亭主の声さえ、二階の連中の耳には届かなかった。
ただ土佐の北添佶麿が、遅参して参る同志がやって来たものと思ったのか、
「あがれ、上だ」
と階段の降り口へ顔を出した。階下から見上げたのは、近藤である。顔が合った。北添があっと身を引こうとしたとき、近藤は階段を二弾づつけ上がって、抜き打ちに斬っておとした。
佩刀は、こてつ徹。
永倉新八がこれにつづいて駈け上がった。
階上にあるのは、「近藤、永倉の二人きりである。奥の間へ進んだ。
奥の間の連中は、今になってやっと事態がどういうものでありかがわかった。
が、刀を取ろうにも、大刀がない。やむなく小刀を抜いた。室内の戦闘には小太刀のほうがいいという説もあって、あながち不利ではない。
議長格の長州人吉田稔麿はこの時二十四歳である。吉田松陰の愛弟子まなでしで、松陰は、桂小五郎よりもむしろ吉田稔麿を買っていたという。
吉田稔麿は、さすがにこの急場でも十分に回転できる思慮をもっていた。河原町の長州藩邸(今の京都ホテル)はここからも近い。まず援兵を求めようと思い、近藤、永倉の白刃の間をくぐって階段の降り口へとりついた。
近藤は、振り返りざま、肩先へ一刀をあびせた。
吉田は階段からころがり落ちた。階下に居た藤堂平助が一刀をあびせたが屈せずに往来へ出た。そこで原田左之助の刀を腰に受けた、さらじ屈せず、ひた走りに走った。
藩邸の門を叩いた。
「吉田だ、開けろ」
開門された。急を告げた。
「みな、すぐ来い」
とわめいた。が、不運にも藩邸には、病人、足軽、小者が数人居たばかりで、戦うに足るほどの者がいなかった。 この時藩邸の責任者であった留守居役桂小五郎は、それでも走り出ようとする者を押しとどめ、
「前途、また大事。みだりにこの挙に応ずるを許さず」(孝允自記)
と言った。桂は、吉田らを見殺しにした。が、それも止むを得なかった。いま動けば長州屋敷だけで数千の幕兵と戦わねばならない。
吉田稔麿はやむなく手槍てやり一本を借り、全身血だらけになりながら、同志が苦闘する池田屋へ引き返し、再び屋内に入り、土間で不幸にも沖田総司と遭遇した。
繰り出した吉田の槍を、沖田はK軽く払った。そのまま槍のへ刀をすーと伝わせながら踏み込んで右袈裟みぎけさ一刀で切り倒した。
このころ、歳三の隊は池田屋に到着している。歳三は、土間に入った。
すでに浪士側は、大刀を奪って戦う者、手槍を使う者、小太刀を巧妙に使いさばく者など、二十数人が死を決して戦い、藤堂平助などは深手を負って土間にころがっていた。
「平助、死ぬな」
と言うなり、奥の納戸なんどから飛び出して来た一人を、かまち・・・に右足をかけざま、逆胴一刀で斬りはなった。屍体したいがはねあがるようにして土間に落ち、藤堂の上にかぶさった。
二階では、近藤がなお戦っている。近藤の位置は表階段の降り口。
おなじ裏階段の降り口には、永倉新八がいる。降り口の廊下は狭い。ほとんど三尺幅の廊下で、浪士側は、一人ずつ近藤と戦わねばならぬ不利がある。
肥後の宮部鼎蔵が、一同かたまって廊下にあふれ出ようとする同志を制し、室内の広い場所に近藤を引き込んで多勢で討ち取るよう指揮した。
近藤は、敵が廊下に出て来ないため、再び座敷に入った。
宮部と、双方中段で対峙たいじした。宮部も数合戦ったが、近藤の比ではなかった。面上を割られ、それでも余力をふるって表階段の降り口までたどりついたが、ちょうど吉田稔麿を斬って駈け上がって来た起こ田総司に遇い、さらに数創を受けた。宮部はこれまでと思ったのだろう、
「武士の最期さいご、邪魔すな」
と刀を逆手ににぎって腹に突き立て、そのまま頭から階段を真っ逆さまにころげ落ちた。
2023/09/05
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