~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
京師の乱 Part-02
池田屋ノ変は、六月五日。
それからほどもない二十六日の日没後、早くもり込みによる不気味な影響が、あらわれはじめている。
河原町の長州屋敷においてである。
この藩邸は、池田屋ノ変後、まったく鳴りをひそめていた。藩邸には、なお、長州藩士や諸藩脱藩の過激浪士百数十人が残っている。
彼らが何を仕出かすか、幕府にとっては重大な関心事だった。藩邸のまわりには、さまざまの密偵みっていが出没した。会津密偵、所司代の謀者、新選組監察部による密偵など、監視に油断はない。
その二十六日の深夜、この夜は池田屋事変の夜に似てひどくにし暑かった。歳三は、監察の山崎烝に起された。
「なんだ」
いそいで衣服をつけた。
「河原町の長州藩邸が、日暮れからどうも様子が面妖めんようです。人が、でます」
三々五々、めだたぬようにして町へ出て行く様子であるという。
「方角は?」
「小門から出て行くときは南北まちまちですが、どうやら密偵がつけたところによると、途中、みな西へゆくそうです」
「西に何がある」
「まだわかりません」
「密偵は何人出ている」
「市中に二十数人はばら蒔いてありますから、おっつけ様子がわかりましょう」
「各組頭にそういって隊士を起したまえ。それから近藤先生の休憩所にも、使番を出しておくように」
歳三は、西へ行く、と聞いた時、とっさにこの洛西らくせいの壬生を襲うのではないか、と思った。しかし、違った。
さらに西、嵯峨さがの天竜寺であるという。
(これは、事が大ききなる)
と、報告が届くたびに思った。
京都の長州人が屯集とんしゅうしつつある臨済宗本山天竜寺は、洛西の巨刹きょさつである。練塀ねりべいを高々とめぐらし、ここで守ればそのまま城郭となると言っていい。
あとでわかったところによると、長州人百数十人は寺の執事を白刃で脅し、そのまま居据わってしまったらさいい。もっとも長州藩と天竜寺は、一昨年の文久二年、多少の縁はあった。長州藩が京都警護の勅命を受けた時、洛中に大兵を収容する場所がないため、下嵯峨しもさがの郷士で勤王家の福田理兵衛の斡旋で、天竜寺を軍営にあてている。しかしその後撤退してからは、何の縁もない。
「近藤さん、こんどは池田屋どころの騒ぎではないよ」
と歳三は無表情で言った。
「天竜寺斬り込みか」
近藤は、もう気負っている。功名の機会を長州がわざわざ作ってくれるよなものだ、と思った。
「どうかな。これは戦になるかも知れない」
「戦に?」
「その支度が必要だろう」
支度とは、新選組を警察隊から軍隊に準備である。とりあえず、大砲が必要であった。
新選組には結成当時から、会津藩から貸与されている旧式砲があった。ポンペン砲(長榴弾ちょうりゅうだん発射砲)と称する青銅製、先込めの野戦砲で、鉄玉を真赤に焼いて砲口からころがして装填そうてんし、火縄ひなわで点火する。射程がひどく短く、一丁も飛べばいいほうである。
(会津本陣には、たしか韮山にらやまで作った新式砲があったはずだが)
歳三は、新選組の戦力として大砲が欲しい、と思ったのではない。いわば「大名」並としての軍制を整える上で、火砲が欲しかった。
2023/09/09
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