~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
京師の乱 Part-04
噂に怯え、京の町人の間では丹波方面に家財を疎開そかいさせる者が多かった。
流言が真実を帯びはじめたのは、長州系の浪士団三百人を率いる真木まき和泉守いずみのかみ久坂玄瑞くさかげんずいらが大坂に上陸したことがわかってからである。その翌日、長州藩家老福原越後の率いる武装隊が、同じく大坂に上陸した。なお後続の長州船が内海を東航しつつあるという。
京都守護を担当する会津藩では、連日、重役会議が開かれた。新選組からはかならず近藤勇が出席している。
この席上、会津側のたれかが、
主上すじょう(天子)を一たん彦根城に動座していただき、長賊を山崎、伏見、京で殲滅せんめつしよう」
という軍略を申し立てる者があった。これがどう流れたか、すぐ大坂の長州屋敷にある遠征軍の耳に入り、彼らを激怒させている。
要するに内実は、長州、幕府側とも、天子をうばう、守る、という一目的にしぼられていた。天子を擁するがわが官軍である、というのが、大日本史や日本外史などの尊王史観普及によって常識化されたこの当時の法則であった。
近藤は、興奮こうふんして屯所へ戻って来ると、廊下を歩きながら、
「歳、歳はいるか」
と、怒鳴った。
歳三は、部屋にいた。机に向い、隊士の名簿をあれこれとながめながら、隊の編成替えについて思案していた。新選組を市中取締りのための編成から、一転して野戦攻城に向くような組織に変改しようとと苦慮していた。歳三にとって、公卿くげや諸藩や志士どもの政論などはどうでもよかった。
「歳」
近藤は障子を開けた。歳三はにがmにがしい顔をして、振り向いた。
「聞こえていますよ。歳、歳、などと物売みてえに薄みっともねえ」
ぎょくだよ」
近藤は、咳き込んで、言った。
「玉?」
「そうだ」
近藤は将棋を指す手つきをしながら、
「こいつはられちゃならねえ。これをとられると、将軍たいじゅでさえ、賊におなり遊ばす。今度の戦は、池田屋とはわけがちがう。御所の御門に新選組のしかばねをきずいても、玉だけは守り抜く。いいか」
「わかった」
「いいな。たとえ新選組が虎口ここうで全滅して、おれとお前とだけになっても、天子は守り抜く」
これが、近藤のいいところだ、と歳三は思った。多摩の百姓あがりの二人が、天子を背負ってでも長州の手から守ろうというのだろう。二条城での会議は、観念論、名分論などが多かったはずだが、近藤の頭は、つねに具体的で即物的だった。
歳三はさらにそれよりも即物的だった。この男の頭には、新選組の強化以外にない。
そのうち、長州藩兵が、ぞくぞくと伏見に入りはじめた。
大将福原越後は甲冑かっちゅうに身をかため、軍勢を率いて伏見京橋口を乗り打ちし、ここを警備していた紀州兵がはばむと、
「われら長州人はつねに外夷に備えている。武装が平装である」
と、恫喝どうかつして通過し、ひとまず伏見の長州藩邸に入った。
新選組に入った情報では、真木和泉守が率いる長州浪士隊は大山崎の天王山、およびその山麓さんろくの離宮八幡宮はちまんぐう(現京都府乙訓郡おとくにぐん、国鉄山崎駅付近)、大念寺、観音寺に陣取り、また嵯峨天竜寺の一団に対しては、適当な大将がいないため、長州でも豪勇をもって聞こえる木島きじま又兵衛が急行してその指揮に当たっているという。
天王山、嵯峨、伏見の長州兵は、夜間わざとおびただしい数の篝火かがりびを焚き、京都の市中に無言の恫喝を加える一方、禁廷に対して上書活動を開始した。
さらに元治元年七月九日、長州軍の本隊ともいうべき家老国司信濃くにししなの指揮の兵八百が、大山崎の陣につき、国司自身は嵯峨天竜寺に入って全軍の指揮をすることになった。
すでに新選組の陣所は決定している。会津藩兵とともに御所蛤御門はまぐりごもんを守るという。
歳三ははじめてこの時甲冑を着た。
2023/09/11
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