~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
長州軍乱入 Part-01
新選組では、かねて京の道具屋に命じて具足を揃えておいた。戦の場合には助勤以上が着る。いずれも骨董品こっとうひんにちかいものだ。
近藤は二領もっていた。
歳三も、ちゃんと買ってある。もっとも幹部一同が着用したのは、後にも先にも、この時だけだった。
助勤で出雲いずみ浪人武田観柳斎かんりゅうさい(のち隊内で処断)という者が武家ぶけ有職ゆうそくにくわしいので一同を指導し、具足のつけ方、武者草鞋わらじの結び方などをいちいち教えてまわった。
近藤の着付けは、武田が手伝った。
やがてかぶとの緒をしめおわった近藤の姿を見て、
「軍神摩利支天まりしてんの再来のようでございますな。いや、おたのもしゅうござる」
と巧弁なことを言った。
歳三は、この武田観柳斎がきらいだった。この男の近藤に対する歯の浮くようなお世辞を聞くと、体中が総毛だつ思いがした。
「土方先生も、お手伝いしましょう」
と武田観柳斎がすり寄って来たが、歳三はにがい顔で、
「要らん」
とだけ言った。もっとも観柳斎の方も、つねづね歳三をおそれて話しかけないようにしている。
「ではご勝手に」
と、あらわに不快をうかべて近藤のそばへ戻った。近藤は大将気取りをするだけあった、おべっかには弱い。いい気持になって、観柳斎の巧弁を「聞いている。
(油断のならぬ男だ)
歳三も、不快だった。余談だが、観柳斎はこの年の翌々年の秋、薩摩屋敷に通敵ししきりと隊の機密を洩らしていたことがあらわれ、近藤、歳三合議の上、隊中きっての使い手斎藤一の手でられている。
歳三は、器用な男だ。はじめてつける具足だが、てきぱきと着込んでしまった。陣羽織を着、かぶとは後ろへはねあげた。
沖田総司がやって来て、
「ああ、五月人形ができた」
と喜んだ。
歳三は、返事もしない。観柳斎によれば近藤が摩利支天で、自分が五月人形とは、あまりわり・・があわない。
「総司、支度が出来たか」
「この通りです」
沖田ら助勤は具足をつけた上に、隊の制服羽織はんてんをはおっている。
「お前はわかっている。みなはどうだ」
「もう庭に出ていますよ」
歳三は、出てみた。
なるほど、そろっている。平隊士は、鎖帷子かたびらを着込んだ上に撃剣の革張り胴をつけ、その上に隊服を羽織り、鉢金をかぶった者、鉢巻だけの者、まちまちだった。
この夕、守護職屋敷から使番つかいばんが来て、
「竹田街道を伏見から北上する長州軍本隊を九条河原勧進橋かんじんばし付近で押さえること」
という部署を伝えた。
「長州の本隊を?」
近藤は喜んだ。おそらくこの竹田街道勧進橋が最大の激戦地になるだろうと思ったのだ。
「歳、本隊のおさえだとよ」
「そうか」
小さくうなずいた。歳三には、疑問がある。が、この使番の前では言わなかった。会津藩に恥をかかせることになるからである。
「陣割りはこうです」
と、使番はくわしく伝えた。その陣地における友軍は、会津藩家老神保内蔵助利孝が率いる同藩兵二百人。備中浅尾一万石の領主で京都見廻組の責任者である蒔田まきた相模守さがのかみ広孝が幕臣佐々木唯三郎以下見廻組隊士を率いて三百人。それに新選組。
出動隊士はわずか百余人である。歳三はとくに腕達者を厳選し、精鋭主義をといった。あとは屯営とんえいの留守と諜報ちょうほうのために使った。
2023/09/12
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