~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
長州軍乱入 Part-02
竹田街道勧進橋をはさんで鴨川の西岸に布陣したのは、元治元年七月十八日の日没すぎであった。
赤地に「誠」一字を染めぬいた隊旗を橋の西詰めにて、そのまわりにさかんに篝火かがりびを焚いた。旗は篝火に照らし出され、敵味方の遠くからでも、そこに新選組が布陣していることがわかった。
歳三は、洛中洛外の八方に諜者を走らせ、しきりと味方、敵の動向をさぐった。この男が、故郷の多摩でやった喧嘩けんかのやりかたと同じであった。
「おかしいな」
と疑問がいよいよ濃くなった。幕府方の兵力配置が、である。
幕府(京都守護職)は、会津、薩摩の二大藩を主力として、ほかに、大垣、彦根、桑名、備中浅尾、越前福井、同丸岡、同鯖江さばえ、丹後宮津、大和郡山やまとこおりやま、津、熊本、久留米、膳所ぜぜ、小田原、伊予松山、丹波綾部あやべ、同貝原かいばら、同篠山ささやま、同園部、同福知山、同亀山、土佐、近江仁正寺、田島出石たじまいずし、鳥取、岡山など三十余藩の兵を動かしている。兵力は四万。
長州側は、主として嵯峨(天竜寺が中心)、伏見、山崎(天王山が中心)の三ヵ所に屯集して京に入る機をうかがっているのだが、兵力はそれぞれ数百人ずつ、あわせて千余で、その点では問題はない。が、その主力部隊はどこかということであった。
幕府は、「伏見」とみた。だから、会津、大垣、桑名、彦根といった譜代大名を配置し、新選組もそれに含めた。
理由は、伏見に屯集している長州兵が、家老福原越後に率いられているからである。
「が、強いのは嵯峨じゃないか」
と、歳三は、近藤に言った。
「長州はなるほど総大将を伏見においているが、これは見せかけで、いざ京都乱入となれば嵯峨が意表をいて働くんじゃないか」
「なぜわかる」
「嵯峨には諸藩脱藩の浪士がおり、その大将は長州でも剛強できこえた木島又兵衛だ。それに諜報では、めっぽう士気があがっているという。しかし総大将のいる伏見はちがう。その旗本衆は、長州の家中の士で組織された選鋒隊せんぽうたいだ。こいつらは代々高禄こうろくに飽いて戦もなにも出来やしないよ。そういう弱兵を相手に、これだけ大げさな陣をく必要がないよ」
伏見の押さえといえば、新選組を含んだ勧進橋陣地fだけではない。その前方の稲荷山いなりやまには大垣藩、桃山には彦根藩、伏見の町なかの長州屋敷に対しては桑名藩、さらに遊軍として越前丸岡藩、小倉藩の二藩を配置するというものものしさである
「こいつは裏をかかれるさ」
歳三は、つめんだ。近藤にはよくわからない。
「まあ、かみで決めた御軍配だ、いいではないか」
「しかし近藤さん。この勧進橋じゃ、目がさめるほどの武功はころがって来ないよ」
「かといって歳、部署を捨てて嵯峨へ押し出すわけにもゆくまい」
「まあ、機をみてやることだな」
歳三は、それっきりこの会話を打ち切った。
2023/09/12
Next