~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
伊東甲子太郎かしたろう Part-05
伊東は、藤堂平助の血色のいい童顔を見て、こ子供っぽい剣客が、どう見ても佞弁ねいべんの策士であろうとは思えなかった。伊東にも人物を見る眼がある。藤堂の人柄jひとがらを信じた。
「しかし、藤堂君。とっさのことだし、それに事が重大すぎる。私も、いま進退をきわめろ、と言われれば、おことわりするほかない」
「いや、決めて頂きます。私も、こういうことをいうのは、決死の覚悟でいる。もし洩れれば死罪はまぬがれません。もし即座に決めていただかねば、私がここで切腹するか、── それとも」
「この伊東を討ち果すか」
「そうそ」
藤堂は笑った。が、顔はほころびきれずになかばでこわばった。
じっと、伊東を見つめている。
「いかがです」
「藤堂君」
と伊東は、自分の大刀をひきつけた。藤堂は、はっとした。
金打きんちょうします」
ぱちり、と、つば音を立て、
「私も武士だ。君の言葉を、たれにも洩らさない。胸にだけ刻んでおく。しかし私の力で新選組を勤王党に変えることが出来るかどうかは、これは別だ」
「伊東先生なら、出来ます」
「とりあえず、加盟だけは約束しよう。仕事はその上でのことだ。しかしその前に、近藤君と会って、とくと話し合わねばならない」
「なにをです」
「近藤君の心底、素志を、まず聞かせてもらう。しかるのち私の意見も述べ、勤王と言うことで折れ合わなくても、せめて攘夷の一事だけでも一致すれば、私は加盟しよう」
伊東は単に勤王どころか、倒幕論者である。が、倒幕、という思想はひとまず隠し、単なる攘夷論者として入隊しようというのだ。
「それに、処遇のこともある。私はどうでもいいが、私に門人、同志の中には、有為の材が多い。単なる新規隊士というのでは困る」
「当然です。人材、人数の点からいっても、これは、新選と伊東道場との同格の合併ということになりましょう」
「そうして貰えばありがたい。君の言う、あとの仕事もやりやすくなります」
「じつに愉快」
そのあと、酒になった。
席上、伊東はふ、
「土方君というの、副長でしたな。これはどういう人物で」
と、聞いた。
藤堂の眼が、にわかに今までと違った光を帯びた。その名前へのおそれが表情に出ているのを伊東は見逃さなかった。
「ほほう、それほどの人物ですか」
「いや、先生」
藤堂は、杯をおいいた。
「愚物です」
「といいますと?」
「愚物、としか云いようがありません。王の尊ぶべきを知らず、夷狄いてきの恐るべきを知らず、時世の急なるを入らず、かといって覇附はふ(幕府)尊ぶべしというほどの理ももたず、ただもうこの男の天地には新選組があるだけで、隊の強化ばかりを考えています」
「そいつは」
伊東は首をかしげた。
「真に怖るべき者かも知れぬ。近藤君はなまじい、志士気取りいるから、私の理をもって説けばどうなるかわかりませんが、その土方という男は、理ではころばぬ」
「そう」
藤堂はうなずいた。
「伊東先生の御卓説をもってしても、まず、石に向かって法を説くようなものです」
「藤堂君、うるさいのはそういう馬鹿者だ¥。まあ会ってみなければわからないが、将来、この男がひょっとすると、私の思案の手にあまるかも知ればい」
「斬る」
藤堂は、手まねをした。
この伊東甲子太郎、不日ふじつ出府して来た近藤と対面したのは、元治元年も、晩秋にちかいころである。
伊東は、入隊を約束した。
2023/09/18
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