~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
甲子太郎、京へ Part-01
伊東甲子太郎が、新選組局長近藤勇と対面したのは、例の小日向柳町の坂の上の近藤道場である。
「伊東先生」
と、近藤は甲子太郎をそう呼んだ。平素の近藤の眼は、人をすようにするどい。
ところが、この席では、終始、笑い声を立てた。そばに控えている武田観柳斎、尾形俊太郎、小倉新八らの隊士も、この日ほど上機嫌じょうきげんな近藤を見たことがない。
「尾形君、先生のお杯が」
と、注意したりする。
「いや、もう十分です」
伊東は慇懃に頭を下げた。
「御遠慮なく。なかなかの御酒量とうかがっています。存分にお過ごし下さい。今日は、たがいに腹蔵なく語り合いましょう」
「望むところです」
この日の伊東甲子太郎は、当節はやりの七子ななこの羽織りに、黒羽二重くろはぶたえ紋付袷もんつきあわせ、それに竪縞たてじまの仙台ひらはかまをはき、両刀のツカ頭に銀の飾りをつけ、つばはc金象嵌きんぞうがんの入った竹に雀のすかし彫り、といった大身の旗本を思わせるような堂々たるいでたちである。元来、風采ふうさいのいい男であった。
「いや、愉快だ」
と、下戸げこの近藤は、平素飲みつけぬくせに、杯を三ばいまであけて、真赤になっていた。
よほど、嬉しかったのだろう。
(どうおいう男か)
伊東は、杯をかさねながら、観察をおこたらない。将来、新選組を乗っ取ろうとする伊東にとっては、この観察には命がかかっていた。得た印象の第一は、
(評判どおり、やはり常人ではない)
ということである。傑物、という意味ではない。なにか、動物を思わせる異常なものが、近藤にはあった。男そのもの・・・・・、というべきか。野の毛物のような精気と、見据えられると身ぶるいするような気魄きはくを、近藤は五体のすみずみにみなぎらせている。
伊東は、近藤に刃物を連想した。その刃物も、剃刀かみそり匕首あいくちのような、薄刃うすはなものではない。たがね・・・といっていい。鎚でたたけば、鉄塊でも叩き割りそうな感じがする。
(おそるべし)
とは思ったが、同時に軽蔑けいべつもした。
(乱世だけが、必要とする男だ)
伊東は、近藤の威圧を払いのけるために、懸命に軽蔑しようとした。
それに、
(意外な弱点がある)
本来たがね・・・にすぎぬこの男があわれなほど政治ずきということであった。
この日、近藤は平素になく、田舎くさい大法螺おおぼらをふいた。
この男のいうところでは、こんどの東下とうげの理由は、将軍を説得するためだというのである。
「将軍を?」
「そうです」
将軍(家茂)を説得して上洛じょうらく させ、勅命のもと、長州征伐の陣頭指揮をしていただく、というのである。
2023/09/18
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