~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
慶応元年正月 Part-01
江戸から帰って来てからの近藤は、妙に浮ついている。
(人が、変った)
と、歳三は思った。
── どういうことだろう。
歳三は、一時はとまどった。が、今では冷たい眼で、そういう近藤を見るようになっている。
「総司よ」
と、ある時、行きつけの木屋町の小料理屋の二階で、沖田総司を相手に言った。この若者だけは、はらの中のどういうことも言えるのである。
「まあ、ここだけの話だがね。近藤さん近ごろ、こう、おかしかねえか」
「ええ」
沖田は、すくっ、と笑った。同感らしい。この若者は、さっきから刺身のツマばかりを食べている。ひどい偏食家で、なまものは、食べない。
「人間、栄誉にはもろいものだな。江戸では、老中に会っている。どうもそこから、人間が妙になったらしい」
「そりぁ」
そうだろう、と、沖田は内心思った。近藤といっても、うまれはたかが多摩の百姓の子で、家には氏素性も、苗字みょうじさえもなかった。その近藤が、老中とひざを交えて政務を談じて来たというのである。はじめは、
(ほんとかなあ)
と、沖田は思った。ひょとすると、玄関わきの用人部屋で、老中の家老ぐらいと話をしてきたのを、近藤は大げさにほら・・を吹いているのではないか、とさえ思った。
近藤は、帰洛してからしばらくの間、まるで念仏のように、
── 伊豆どのは、伊豆どのは。
といった。御老中松前伊豆守様とは言わない。同僚づきあいをしていえる口ぶりであった。新参の隊士などの間では、
(さすが、新選組局長といえば大名なみだな)
と、感心する者もいた。
二条城へも、三日に一度は登城している。
この城は、徳川家の家祖家康が京都市中に築城したもので、将軍上洛の時の駐旆所ちゅうはいじょとして用いられて来た。いまは、「禁裏御守衛総督」である一橋慶喜ひとつばしよしのぶ(のちの十五代将軍)が在城している。
近藤はここで京都守護職の公用方と談じたり、右の一橋家の公用方と、天下の情勢を論じたりしている。
その近藤の登城の容儀は、江戸からの帰洛後、ほとんど大名行列に似て来た。むろん、乗り物は用いない。馬上ではある。しかしつねに隊士二、三十人を従えて堀川通を練ったというから、小諸侯であろう。
(一介の草莽そうもうの志士ではなくなってきた)
そんな悪口を、結盟以来の幹部である山南敬助がかげで言っているのを、沖田は聞いたことがある。
「しかし、土方さん」
と、沖田は言った。
「近藤さんを大名に仕立てる、とこっそり近藤さんをおだてたのは土方さんじゃありませんか」
「ふむ」
歳三は、眼をそらした。
「そうさ」
「じゃ、悪いのは土方さんですよ」
「ちがう。おれは、新選組というものの実力を、会津、薩摩、長州、土州といった大藩と同格もものにしたい、とは言った。いまでもそのつもりでいる。むろんそいのあかつきは、首領はあくまでも近藤勇昌宜まさよしだから、近藤さんが大名になるのと同じ意味ではあるが、気持はちがう」
「どうもね」
小首をかしげた。
「なんだ」
「土方さんのおっしゃるそんなみ入った言葉裏が、近藤さんにはわかりませんよ。あのひとは、土方さんと違って、根がお人好ひとよしだから」
「── とちがって、とは何事だ、総司」
「うふ」
箸で、焼魚をつついている。沖田は利口な若者だから、それ以上の理屈はいわない。しかし、近藤のいまの滑稽こっけいさも、歳三のほんとうの心境も、手にとるようにわかっている。
2023/09/21
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