~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
慶応元年正月 Part-02
近藤が大名気取りになった理由のひとつはには、隊士の飛躍的増加があった。
江戸で、あらたに五十人を徴募した。これがいま、隊務についている。
それに伊東一派の加盟が大きい。彼らはすべて文武両道の達人ぞろいで、いままでの隊士とは毛並みが違っている。
伊東は一流の国学者である。議論でも学問でも、近藤は、伊東甲子太郎の足もとにも及ばない。ひょっとすると、竹刀しないをとっても、近藤は伊東に及ばないのではないか。
事実、伊東が加盟してからというものは、隊士間の人気は大変なもので、副長の歳三mなどは影が薄くなり、近藤の人気までややおされ気味になった。
(だから、近藤さんは、格で押さえようとしているのだろう)
と、沖田はみている。すべての点で伊東にかなわないとすれば、近藤は、
「大名格」
になるしか仕方がない。
「おれは別格だよ」
というところを、伊東にも、隊士一同にも近藤は見せている。いかにも、多摩の田舎壮氏あがりらしい感覚である。
しかし。
と、山南敬助が、沖田に言ったことがある。
── 我々は、近藤の家臣ではない。結盟の当初、ともに攘夷の先駆をつとめようというので、はるばる江戸から上って来たのだ。新選組は、同志の集団であって、主従の関係ではない。近藤もまた、平隊士と同格の志士であるべきである。その近藤が、大名気取りで登城するとは、どういうことか。
(ちがいない)
と、沖田は心中、思っている。
(近藤さんは、のぼせすぎている。ひょっとすると、伊東甲子太郎に足もとをすくわれるのではあるまいか)
と、歳三は言った。
「近藤さんが大名気取りになるのは、まだ早すぎる。天下の争乱がおさまってからのことだ。少なくとも、長州の討伐をやり、長州をほろぼし、その旧領の半分でも貰ってからのことだ」
(あっ)
と、沖田は思った。新選組の真の考えが、そういうところにあるとは、沖田総司でさえ、はじめて知らされる思いだった。
「土方さん。──」
と、沖田は箸をおいた。
「いまの話し、本当ですか」
「なんのことだ」
長州領の半分を新選組が貰うということです」
「ものの例えだよ。武士が戦功によって所領をもらうのは、源平以来のならいだ。この争乱がおさまれば、幕府もだまっていまい」
「おどろいたな」
まるで、戦国武士の考えではないか。単純というか、旧弊とすれば、おっそろしく時代離れのした話である。
「土方さん、あなたは大名になりたい、というのですか」
「馬鹿野郎」
歳三は、ひどく怒鳴った。
「なりたかねえよ」
「たしかに?」
「あたりめえだ。武州多摩の生まれの喧嘩師けんかし歳三が、大名旗本のがら・・なもんか。おれのやりたいのは。仕事だ。立身なんざ」
「なんざ?」
「考えてやしねえ。おれァ、職人だよ。志士でもなく、なんでもない。天下の事も考えねえようにしている。新選組を天下第一の喧嘩屋に育てたいだけのことだ・おれは自分のぶんを知っている」
安堵あんどした」
沖田は明るく笑ってから、
「近藤さんは、どうなんです」
「心底か」
「ええ」
「そんなことは知らん。あの人が、時世ときよ時節を得て大名になろうと、運悪くもとの武州多摩がわらをほっつき歩く芋剣客に逆戻りしようと、どっちにしてもおれはあの人をたすけるのが仕事さ。しかしおれは、あの人がみずから新選組を捨てる時がおれがあの人と別れる時だ、と思っている」
(そこが、この人の本領だな)
2023/09/22
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