~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
慶応元年正月 Part-03
沖田は、ほれぼれと歳三を見た。一種の気違いである。が、こういう気違いがいなければ、新選組はとっくに破裂しているかも知れない。
「だからよぅ」
と、歳三は多摩ことばで言った。
「まだ、大名気取りは早いというんだ、近藤の。伊東が来た。伊東に人気が集まっている。近藤がひとりお大名で浮きあがってちゃ、いずれ隊がこわれるよ」
歳三の言うことは、かつて近藤に「大名気取りでやれ」と言ったことと、矛盾している。しかし、あのときはあの時、いまは今、すでに伊東の加盟によって事態が変わっている。伊藤ほどの男だ、きっと新選組を奪う、歳三は、むしろ恐怖に近い感状で、そうみていた。
そんなころ、歳三の眼から見れば実に馬鹿々々しいことが、起こった。
この年、ちょうど年号が変って慶応元年の正月のことだが、歳三は大坂へ出張した。
もどると、もう京では松飾がとれてしまっている。
屯営の門を入ると、庭で隊士がざわめいている。
(なんだろう)
廊下を、近藤が行く。
なんと、顔を真白にぬたくって、公卿くげも顔負けの化粧をしているのである。
(野郎、といとう気が狂いやがったか)
かっとなって、庭から廊下へ跳ね上がり、近藤のあとを追った。
「やあ、お帰りですか」
と、途中、伊藤甲子太郎が部屋から出て来て、丁重ていちょうに挨拶した。
色が女のように白い。まゆが清げで、秀麗な容貌ようぼう である。微笑すると、芝居に平家の貴公子のようであった。
(まさか、近藤がこいつと張り合うために、白粉おしろいを塗りたくって歩いているわけではあるまい)
歳三は、近藤の部屋の障子を開けた。
「おっ」
棒立ちになった。
近藤が、真白ですわっている。
「どうしたんだ」
「これか」
近藤はにこりともせずに自分の顔を指さし、
ほとがら・・・・よ」
(畜生。・・・・)
歳三はこわい顔で坐った。京都では、化粧のことをほとがら・・・・とでもいうのだろう
「きょうは、はっきりと言うがね。お前さんは近頃料簡りょうけんがおかしかねえか」
歳三は、沖田に言ったようなことを、ずけずけと言い、
「人間、栄誉の座にのぼるとざま・・ァなくなるというが、お前さんがそうだね。おれはお前さんがそんな薄っ気味の悪い白首の化物にするために、京へのぼったんじゃないよ」
「歳、言葉をつつしめ。おらァ、おめえの多摩の地言葉でまくしたてられると、頭がいたくなってくる」
近藤は、むっとして、部屋を出中庭へ降りた。
庭の中央に、敷物が敷かれている。近藤はその上に、むっつりとすわった。
やがて、儒者風の男が一人、それと医者の薬箱持ちのような男が三人現れて、近藤のまわりを取り囲んだ。
「なんだ、ありァ」
歳三は、その辺に居る隊士たちに聞いた。隊内では朝からの騒ぎだったらしく、みなそのことについて詳しい知識を持っていた。
ほとがら・・・・ですよ」
現今いまの写真術というものである。感光力のにぶい湿板しつぱんに写すのだから、被写体の人間には、真白な支那しな白粉を塗りつけ、しかもその背後バックに白布を張りめぐらせる。
大村藩士の上野彦馬がこの名人で、長崎の舎密せいみ(化学)研究所で蘭人らんじんポンペから教わった。最初に上野彦馬が写した人物は、のちに近藤と親交を結んだ松本良順(蘭医、将軍家茂の侍医で法眼ほうげんとなった。末期の新選組にはずいぶんと好意を示した人物である。維新後、順と改名し、軍医総監となり、のち男爵だんしゃく)で、場所は長崎の南京寺ナンキンでらである。
上野彦馬は、いyがる良順の顔に支那白粉おぬった。
良順は、地顔が黒い。それを白くするためには、大量の白粉が要った。その上、凹凸おうとつの多い顔である。厚塗りにするとおそるべき顔のなったが、
── なにごとも学問のためだ。
と、辛抱した。さらに写真家上野彦運は、感光をよくするために、その良順を寺の大屋根に登らせ、長時間、直立不動の姿勢をとらせた。それを見て、長崎の町の人は、「南京寺にあたらしい鬼瓦おにがわらができた」と勘違いして、ぞろぞろ見物に来たという話が残っている。
いま、近藤を撮影しつつあるのも、その上野上野彦馬であった。
2023/09/23
Next