~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
慶応元年正月 Part-04
歳三が、まわりの隊士から聞くと、上野彦馬は、どうやら二条城から差しまわされて来らあいい。
禁裏御守衛総督一橋慶喜が、
── 近藤を写してやれ。
と、じきじき言ったという。そういえば慶喜は台のほとがら・・・・好きで、二条城に登城して来る大名をつかまえては、写真ほとがらをとらせる。大名への機嫌きうげんとりのつもりで写真を馳走ちそうがわりにしている、といううわさを、歳三も聞いたことがある。
(なるほど。近藤もそういう大名なみになったのか)
もはや、一介の浪士ではない。歳三の知らぬ場所で、近藤は、異常に出世・・しつつあるようであった。
「どうぞ、息をお詰め下さるように」
と、ほとがら・・・・の術師は言った。
── こうか。
「左様」
術師は、レンズのふたをひらうら。その大きな木製の暗箱の中に、近藤の映像がうつりはじめた。
(・・・・)
近藤は、息をつめている。
術師は、容易に呼吸の再開をゆるさない。
やがて、近藤の首筋が充血してきた。ただでさえ迫っている眉が、けわしくなった。苦しさに、歯がみしはじめている。
やっと術者は、レンズのふたを閉め、
「どうぞ」
と言った。
近藤は、吐息をついた。
歳三は、ばかばかしくなった。京都政界の大立者になった近藤の写真は、これで永久に残るだろう。息をつめて、それがために悪鬼のような形相ぎょうそうになっている近藤の写真が。
「歳、お前もどうだ」
「いや、ご免こうむる」
と、廊下にもどった。
廊下にもどってからふと気づいたことは、見物の隊士の中に、伊東甲子太郎の姿が見えない。
伊東だけではない。伊東派の幹部は、たれもいないのである。これに気づいたのは、歳三だけだったろう。
(部屋には、いるはずだが)
出て、彼らは見ようとはしない。たれにとってもほとがら・・・・はめずらしかるべきはずだが、伊東らは、一顧もしようとしなかった。
(愛嬌あいきょうのないやつらだ)
歳三は、腹が立ってきた。
理由は想像がつく。伊東は、国学者流の攘夷論者である。おなじ攘夷主義でも、この系統の主義者は、ほとんど神がかりに近い神国思想の持ち主で、洋夷のものといえば、異人の足跡でも不浄であるとした。ましてや、ほとがら・・・・を見物するなどは、
── 眼がけがれる。
というわけであろう。
みな、伊東の部屋に集まっているらしい。
歳三は、わざとその部屋の前を通った。障子が、わずかにひらいている。見ると、みな大火鉢おおひばちをかこんで、談じている様子であった。
伊東が、おだやかに微笑している。そのまわりを、ちょうど信徒がとりまくように、篠原、服部、加納、中西、内海ら、伊東派の隊士がすわり、ほかに、山南敬助の顔も混じっていた。
(山南の野郎。──)
歳三は、思わずはらの底でうなった。
伊東が入隊してからというもの、山南の伊東への接近の仕方が、異常なほどであった。山南は、総長の職にある。その職を捨ててあたかも伊東の弟子になったとしか思えない。
(あいつ、近藤を、見限るつもりか)
妙なものだ。
こうなれば、新参の異分子伊東甲子太郎への憎しみよりも、むしろ、結盟以来の古い同志の山南の離反を憎む気持の方が、はるかに強くなってくる。
歳三は、部屋の前を通り過ぎた。そのあと、部屋の中でどっと笑い声があがった。別に歳三を笑ったわけではない。が、歳三の顔は、廊下のむこうを見つめながら、真青まっさおになっている。おそらく、近藤が支那白粉などを塗って喜んでいる間に、いまあがった笑い声の群れが、新選具の主導権を握る時が来るのではないか。
(わかるもんか)
歳三は、そんな予感がする。
が、その予感は、意外な形で、事実となってあらわれた。
山南敬助が脱走した。
2023/09/23
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