~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
憎まれ歳三 Part-02
歳三は、思想などくそくらえ、と思っている。芸人が芸に夢中になるように、自分が生んだ新選組の強化に、無邪気なほど余念がなかった。そこが沖田の好きなところであったが、しかし知識人の山南敬助は、そういう歳三の、主義思想のない無智さ・・・には堪えられなかったのであろう。
── 住みづらいところだよ。
と、山南は、かつて池田屋ノ変のあと、沖田にぼやいたことがある。
── 新選組が、なんのために人を殺さねばならぬのか、私にはわからなくなった。我々はもともと、攘夷のさきがけになる、という誓いをもって結盟したはずではないか。そのはずの新選組が、攘夷決死の士を求めてはってまわっている。おかしいと思わないか、沖田君。
── ええ。
と、沖田総司は、そのとき、あいまいな微笑をうかべて相槌を打った。
「沖田君」
と、このときの山崎は、めずらしく昂奮こうふんしていて、しつこかった。なぜはっきりと意見を言わないのか、と詰め寄るのだ。
「こまるなあ、私は。──」
と、沖田は頭をかいた。池田屋では、沖田がもっとも多く斬っている。山南はあの斬り込みには参加していない。
「君は、新選組をどう思っているのです」
「── 私ですか」
沖田は、とまどった。
「私は、兄の林太郎も、近藤先生の先代の周斎老先生の古い弟子ですし、姉のお光は、土方さんの生家と親類同然のつきあいをしていた。そういう近藤、土方さんが京へのぼるとなれば私は当然、京へのぼらねばならない。だから、その攘夷とか、尊王とかとは ──」
関係かかわりがないな」
「ええ、そうなんです。── だけど」
沖田は照れくさそうに笑ってから、
「私はそれでいいんですよ」
と、はじめて明るく笑った。
「君は、ふしぎな若者だなあ。私は君と話していると、神様とか諸天しょてんとかがこの世にさしむけた童子のような気がしてならない」
「そんなの、──」
沖田は、あわてて石を一つった。この若者なりに照れているのである。
── 土方さん。
と、沖田は、この時も石を一つ蹴った。小さな声で、「あのね」と、歳三に話しかけた。歳三が山南の処置をどう考えているのか、さぐりたかったのである
「山南さんをどうするんです」
「おれに聞いたって、わかるもんか。そういうことは、新選組の支配者に聞くがいい」
「近藤さんにですか」
「隊法さ」
それが新選組の支配者だ、と、歳三は言った。しかもその局中法度はっとや、隊規の明細は、山南自身も合議の上で決めたものである。
(切腹だな)
沖田は、思った。が、すぐ、沖田は、大きな声で言った。
「土方さんは、みなに憎まれていますよ。山南さんはむろん、土方さんを憎みきっている。蛇蝎だかつのように、と言っていい」
「それが、どうした」
平然としている。
「どうもしやしませんよ。ただ、みな、あなたをおそれ、あなたを憎んでいる。それだけは知っておかれていいんじゃないかなあ」
「近藤を憎んでは、いまい」
「そりゃあ、近藤先生は慕われていますよ。隊士のなかでは、父親のような気持で、近藤先生をみている者もうます、あなたとは違って。──」
「おれは、蛇蝎だよ」
「おや、ご存知ですね」
「知っているさ。総司、いっておくが、おれは副長だよ。想い出してみるがいい、結党以来、隊を緊張強化させるいやな命令、処置は、すべておれの口から出ている。近藤の口から出させたことが、一度だってあるか。将領である近藤をいつも神仏のような座に置いてきた。総司、おれは隊長じゃねえ。副長だ。副長、すべての憎しみをかぶる。いつも隊長をいい子にしておく。新選組てものはね、本来、烏合うごうの衆だ。ちょっとゆるめれば、いつでもばらばらになるように出来ているんだ。どういう時がばらばらになる時だか知っているかね」
「さあ」
「副長が、隊士の人気を気にしてご機嫌をとりはじめるときさ。副長が、山南や伊東(甲子太郎)みたいにいい子になりたがると、にがい命令は近藤の口から出る。自然憎しみや毀誉褒貶きよほうへんは近藤へゆく。近藤は隊士の信を失う。隊はばらばらさ」
「ああ」
沖田は素直にあやまった。
「私がうかつでした。土方さんが、そんなに憎まれっ子になるために苦労なさっているとはしらなかったなあ」
「よせ」
沖田の口から出ると、からかわれていつようだった。
性分しょうぶんもあるさ」
にがい顔で、言った。
2023/09/25
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