~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
憎まれ歳三 Part-03
近藤は、さすがに真っ青になった。山南は、江戸の近藤道場の食客で、結盟以来の同志である。しかも、隊の最高幹部のひとりであった。その脱走は、隊の行き方に対する無言の批判といっていい。
「古い同志だが、許せない」
と、近藤は言った。脱走を、山南敬助のばあいのみかぎって許すならば、隊律が一時にゆるみ、脱走が相次ぎ、ついには収拾がつかなくなるだろう。
「理由は、なんだ」
「私を、憎んだのだ。それだけでいい」
と歳三が、言った。
「いや」
と、監察の山崎烝が、とりなし顔で、意外なことを言った。
「山南先生は、ここ数日、水戸の天狗てんぐ党の始末のうわさを聞いては、ひどくしょげっておられたようです」
「天狗党の?」
近藤は、視線を宙に浮かせた。なるほど、京からさほど遠くない越前の敦賀つるがで、水戸天狗党の処刑が行われているといううわさは、隊中でも持ちっきりになっている。
水戸藩の元執政武田耕雲斎を首領とする水戸尊攘派の激徒が常州筑波山つくばさんで攘夷さきがけの義兵をあげ、曲折のすえ、京の幕府代表者慶喜に陳情するため西走し、途中力尽き、去年の十二月十七日、加賀藩に投降した。加賀藩では彼らを義士として遇した。べつに彼らは倒幕論者ではなく、幕府によって攘夷の実をあげようとしただけのことであったからだ。
ところが、今年に入って江戸から若年寄田沼玄番頭げんばのかみが上京して事件の処理に当たり、浪士を懐柔しつつ武器をとりあげ、その総数八百の衣服までいて赤裸あかはだかにし、畜生扱いにして敦賀のニンジン蔵に押し込めた。牢舎ろうしゃでのでの扱い、残忍をきわめた。
だけではない。
この二月に入って、敦賀の町外れの来迎寺らいこうじ境内に三間四方の墓穴を五つ掘り、その穴のそばに赤裸の浪士を引き出しては断首し死体を蹴り込んだ。二月の四日に二十四人、十五日に百三十四人、十六日に百二人十九日に七十六人、といったぐあいに、累計るいけい三百五十二人におよんだ。幕府始まって以来、というより、日本史上稀にみる大虐殺ぎゃくさつである。
しかも彼らの多くは、水戸徳川家の家臣で、攘夷は唱えるものの、幕府そのものをどうこうしようという逆乱者ではない。その彼らを、虫のように殺した。
── 幕府、血迷ったか。
という声は、天下に満ちた。天下の過激世論が攘夷から倒幕に転換したのは、この時であると言っていい。こういう殺人機関を、なんの正義あって温存せねばならぬのか。
「おれは、幕府から米塩を給付されているのがいやになった」
そういう意味のことを、山南は、局中でたれかにらしていた、と山崎は言った。たしかかどうかは、わからない。
しかし、山南が衝撃うけたであろうことは、この処刑者の中に、江戸で旧知の同優の士が、七、八人はいることでも容易に想像することが出来る。
山南は、時世にも新選組にも絶望した。
── 江戸へ帰る、とある。
と、近藤は、手紙を読みおわってから、言った。
2023/09/26
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