~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
四条橋の雲 Part-03
伊東甲子太郎は、歌才があった。歌におもしろ味はないが、古今、新古今以来の歌道の伝統を律義りちぎに踏まえた、教科書的な短歌である。
伊東が新選組加盟のために江戸を離れ、大森まで来た時に、
   残し置く こと葉草はぐささはあれど
     言は別るる そでの白露
その時世への心懐をんだ歌としては、
   ひとすぢに わが大君の ためなれば
     心をあだに散らし(せ)やはそ
といったぐあいなものがある。
「やあ、日本外史ですな」
と、伊東は、近藤の手もとをのぞいた。
「そうです。私は、大楠公だいなんこうが好きでしてな」
「ああ。──」
伊東は、微笑した。伊東も、水戸学派だから楠木正成を神以上のものとして敬慕している。・
「さすが、近藤先生ですな」
(ばがやろうめが)
と、歳三は思った。近藤の楠木正成は徳川将軍を奉戴ほうたいしているのである。天皇を担いでいる伊東甲子太郎とは、御輿みこしの種類が違っている。
「私も、先般大坂に下向げこうしましたとき、摂海せっかいを視察し、途上、兵庫の湊川みなとがわなる森にまいり、大楠公の墓前にぬかずきました。その時の偶感一首、── 失礼」
と、威儀をただし、自作の歌を朗々と吟じはじめた。
   行く末は
   かくこそならめ われもまた
   湊川原のこけのいしぶみ
「おみごと。──」
近藤は、物のわかったような顔で、うなずいた。歳三は、そっぽをむいている。
「そうそう、土方さん。新編成の下相談でしたな」
と、伊東が、現実に戻ったような表情で、歳三に白い顔をむけた。
歳三は、近藤の手もとにある草案を、伊東甲子太郎にまわした。
── 参謀、伊東甲子太郎。
とある。
これはすでに伊東との相談ずみのことであった。その他の伊東派の連中の幹部の席の割りふりも、すべて伊東の意をんである。
こんどの編成では、助勤(士官)という名称を廃し、幕府歩兵を参考にして、フランス式軍制に似たものにした。
「これはみごとな隊制だ」
と、伊東は言い、歳三を見た。見なおしたような顔つきである。
「いや、土方君はこれが得意でしたな」
と、近藤も嬉しそうに言った。組織をつくりあげる歳三の才能だけは、近藤は、天下及ぶ者がない、と評価していた。
局 長 近藤勇昌宣
副 長 土方歳三義豊
参 謀 伊東甲子太郎武明
組 長 
一番隊 沖田総司 六番隊 井上源三郎
二番隊 永倉新八 七番隊 谷三十郎
三番隊 斎藤 一 八番隊 藤堂平助
四番隊 松原忠司 九番隊

鈴木三樹三郎

五番隊 武田観柳斎 十番隊 原田左之助
伍 長 奥沢永助 川島勝司 島田魁 林信太朗 前野五郎 阿部十郎
  橋本皆助 茨木 司  小原幸造 近藤芳祐 加納鵰雄 中西登 
  伊東鉄五郎 久米部十郎 富山弥兵衛 中村小三郎 池田小太郎
  葛山武八郎
監 査 篠原泰之進 吉村貫一郎 山崎烝 尾形俊太郎 芦谷昇 荒井忠雄
名簿のうち、ゴチックは、伊東が江戸から連れて来た者である。このほか伊東派では、服部武雄が隊の剣術師範として幹部待遇、内海二郎、佐野七五三之助は、平隊士にされた。が、腕はいずれも第一級のもので、隊務にれしだい、伍長に格あげをする、という含みがある。
2023/10/01
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