~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
四条橋の雲 Part-04
「結構です」
と、伊東はあまり、興味を示さず、ただ、
「参謀とは、私はありがたい」
と言った。
参謀という職も、かつての山南敬助の「総長」と同様、近藤の相談役というだけで、副長のような隊に対する指揮権はない。
「ぜひ、新選組のために、天下の英士とまじわり、隊の方向を誤らぬようにしたい」
「ぜひ、そう願いたいものです」
と近藤が、頭をさげた。
「歌がひとつ、出来ました」
と伊東は懐紙を取り出し、青蓮院流しょうれんいんりゅうの端正な筆で、さらさらと書いた。
   数ならぬ 身をばいとはず 秋の野に 迷ふ旅寝も ただ国のため
(歌も、ばかにならぬ)
歳三は、この二月に脱走の罪で切腹になった山南敬助を思い出した。
山南の江戸への脱走は、伊東となにごとかを約した上でのことであったらしく、その死後、伊東は山南をとむらい、歌四首をつくって、隊士のたれかに見せている。この歌が、いま、隊士の間で、微妙な波紋をひろげつつあることを、歳三は知っていた。
── すめらぎの まも りともなれ 黒髪の 乱れたる世に 死ぬる身なれば
── 春風に 吹き誘はれて 山桜 散りてぞ人に 惜しまるるかな
(いやなやつだ)
歳三は、そういう者をみると、ほかに非違を云いたてて、片っぱしから、切腹を命じた。
── 新選組に、思想は毒だ。
という、断固だんこたる信条が、歳三にある。
近藤は、隊務よりも、政治と思想に熱中していた。
伊東は伊東で、大原三位卿さんみきょうなどの尊攘派の公卿くげの屋敷に出入りし、世務を論じている。
歳三のみが、置き去りにされたようにして、隊務に没頭した。諸幹部のうち、彼だけが営外に休憩所をつくらず、営中に起居して、その癖のある眼を、ぎょろぎょろと光らせていた。
夏を越えた。長州征伐の軍令は出たものの時勢は動かず、ちょっと停頓ていとんしている。将軍は、大阪城に入ったまま病となり、軍勢の発向を、いまだに命じていない。ひとつには軍費調達のめどがつかなかったのと、諸侯の足並みが揃わなかったためである。が、この間、幕府側のまったく知らぬことが、政局の裏側ですすんでいた。いままで会津藩の友藩だった薩摩藩が、ひそかに藩論を一転させて倒幕援長に決し、土州海援隊長坂本竜馬りょうまを仲介として、薩長秘密同盟の締結をすすめていた。維新史の急転はここから始まるのだが、むろん幕府はおろか、その手足の会津藩、新選組は夢にも知らない。
秋になってっもまだ幕府は攻撃令をくださず。十一月、幕府は長州に対し、問罪使を派遣するような悠長ゆうちょうなことをしている。
正使は、幕府の大目付永井主水正尚志もんどのしょうなおむねである。場所は、芸州広島の国泰寺。
この幕府代表団の随員の中になんと、近藤勇、伊東甲子太郎、武田観柳斎、尾形俊太郎の四人がまじっている。
(おっちょこちょいな話さ。なんの役に立つのか)
と、留守を命ぜられた歳三は思った。
むろん、近藤、伊東らは、幕使としてではない。幕府代表永井主水正の家来、という名目で、近藤は名前も近藤内蔵助くらのすけと変名していた。
そのころ、長州側は、すでに、坂本龍馬らの斡旋で、長崎の英人商会から大量の新式銃を買い入れ、決戦の準備をしている。
長州側の代表として広島国泰寺にやって来た正使は、家老宍戸備後助ししどびんごのすけである。というのは実は真赤な嘘で、ありようは山県半蔵(宍戸たまき、維新後子爵、貴族院議員)という、口達者を買われた中級藩士の三男坊である。それに宍戸という家老の名前を臨時に名乗らせ、一時仕立ての使者になってあらわれたのである。もっとも、長州としては正気で談判に応ずるつもりはない。
歳三は、京で留守。
この間、市中で、長州系とみられる浪士を毎日のようにったが、一抹いちまつさびしさはおおえない。
沖田総司を連れて、祇園の料亭へ行く途上四条橋の上で、夕映えに染まった秋の雲くきれかが、しきりに東へ行くのを見た。
「総司、見ろ、雲だ」
「雲ですね」
沖田は立ちどまって、見上げた。沖田のほお・・歯の下駄げたから、ながい影が、橋上にのびている
橋を往き来する武士、町人が、ふたりを避けるようにして、通った。新選組が二人、なにを思案していえると思ったろう。
「句が出来た」
と、歳三は言った。豊玉ほうぎょく宗匠にしては、ひさしぶりの作である。
「愚作だろうなあ」
沖田はくすくす笑ったが、歳三はとりあわず、ふところから句帳を取り出して書きとめた。
沖田は、覗き込んだ。
   ふるさといへ むかって急ぐ 五月雲さつきぐも
「おや、いまは十一月ですよ」
「なに、五月雲のほうが、陽気で華やかでいいだろう。秋や冬の季題では、さびしくて仕様がねえ」
「なるほど」
沖田は、黙って、歩きはじめた。
この若者には、歳三の心境が、こわいほどわかっているらしい。
2023/10/02
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