~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
堀 川 の 雨 Part-02
かつて外島機兵衛が、近藤、土方ら新選組幹部とともに島原木津屋の登楼したときのことである。
歳三の敵娼あいかたは、東雲大夫になった。
島原は、江戸の吉原とならんで、なんといっても天下の遊里である。ことに、大夫の位ともなれば諸芸学問を身につけさせられているだけに非常な見識があり、客の機嫌きげんはとらない。
むしろ客の方が大夫の機嫌を取り、その機嫌のとり方がうまいというのが、この町では通人とされる。
近藤はなかなかの遊び上手だった。この島原の木津屋でもこがね大夫となじみを重ねているほか、一方では三本木の芸妓げいぎ駒野こまのに子を生ませたり、おなじ三本木で、植野という芸妓とも馴染なじみ、これを天神の御前通にかこっていた。
それだけではない。
近藤は大坂へたびたび出張するうちに、新町のお振舞ふるまい茶屋でもさかんに遊び、織屋のお抱えで深雪みゆき大夫という者が気に入り、大坂八軒家の新選組定宿主人京家忠兵衛が奔走して落籍ひかせ、これを近藤が興正寺門跡から借りている醒ケ井木津家南の屋敷に住まわせた。ところがほどなく病死し、その深雪大夫の妹が姉に似ているというので、それを後釜あとがまにすえた。
そのほか、祇園石段下の山繭やままゆにも女が居てしきりと通っていた。
まったく近藤はよく遊ぶ。当節、京洛を舞台に活躍している雄藩の公用方(京都駐留外交官)は、、色町で公務上の会合をし、ずいぶん派手に遊ぶが、近藤ほど諸所ほうぼうに女を作っている男もめずらしく、一時、隊士のあいだでも、── 会津藩から出ている局の費用の半分は局長の女の鏡台のひきだしに流れ込んでいるのではないか、という噂があったほどであった。が、その点は、違う。
近藤個人の費用として、大坂の鴻池こうのいけ善右衛門から多額の金が出ていた。
鴻池は、尊王浪士と称する者から「攘夷軍容金申付もうしつけ」の押し借りを受けることが多く、それを防ぐために鴻池では、新選組にたよった。近藤に献金した。近藤はその金で遊び、女をかこった。会津藩の新選組関係の公用をする外島機兵衛は、そういう内情まで知っている。
(酒も飲まずによくまあ、あれだけ遊べたものだ)
とかねがね感心するような思いでそれを見ていた。が、外島機兵衛のみるところ、土方歳三はちがう。
酒は、やや飲む。
が、あまり」好きなほうではないらしく、杯を物憂ものうそうになめている。
女は。──
「そら、その東雲大夫が、ですな。あの男とへやにひきとってから、閉口したそうですよ」
よほど閉口したらしく、あとで、大夫が仲居に らしたのがひろまって、評判になった。
歳三は、黙って杯を重ねているばかりでひと言も口をきかない。どうも、ほかのことを考えている様子なのである。
── 土方はん。
と、東雲大夫が、見かねて言った。
歳三が、あまり酒を好まないことは、さっきの酒席で様子を見て察していた。
── もう、お酒は。
と、銚子ちょうしをかくし、
── おやめやす。あまりお好きやおまへんのどすやえろ?
── ああ、好きじゃない。
と、歳三は所在なげに答えた。
── ほなら、おやめやす。お好きやないもんをそんなに飲んでお居やしたら、お体に毒どすえ。
── そうかね。
と言いながら、歳三は手を伸ばして東雲大夫の手から銚子を取り返し、
── それでも、色里の女より、ましさ。
と言った。
元来、遊女の女がきらいなのである。御内府や武州の宿場宿場をうろついていたころからそうだったが、この物嫌ものぎらいは京にのぼってからも変らない。
(あっ)
とこのくるわでもおとなしいので通っている東雲大夫がさすがに色をなしたが、歳三は相変わらずにべ・・もないつらで酒を飲んでいる。
が、妙なものだ。
島原でこんな不愛想な客を、東雲大夫は見たことがない。が、いかがしずまると、がたがたと張りも誇りも崩れるような思いで、東雲大夫はこの男を見た。その時、おそわれるような思いで、この男が好きになったような気が、東雲大夫にはした。
── 縁起えんぎどすさかい。
と、暁片あけがた、懇願するようにして、この客に床入とこいりをしてもらった。
「それが」
と、東雲大夫は、あとで仲居に言った。
「存外、やさしいお人どすえ」
客がそのあと、床の中でどうふるまったか、東雲大夫は廓のしつけとして口外しなかったが、仲居には想像することが出来た。うわさは、そういう仲介者の想像をまじえて、外島機兵衛の耳に入っている。
2023/10/07
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