それから半時後、歳三は、丸太町通をまっすぐ西へ歩いて堀川に突き当たっていた。
灯ひがみえる。二条城の灯である。この道をこのまま小橋を渡って西へ行けば所司代堀川屋敷である。
が、歳三は渡らない。当然なことで新選組屯営はこの堀川東岸を南に折れ、なおここから三十丁も下らねばなrたない。
「藤吉、疲れたか」
と、歳三は小者に聞いてやった。
雨は、なお降りつづいている。
「いえ、脚だけは自慢でございますから」
藤吉は、雨の中で言った。歳三の散歩前を、及び腰で提灯ちょうちんをさし出しながら、藤吉は行く。
歳三は、唐笠からがさを柄高えだかに持ち、黒縮緬ちりめんの羽織、仙台平せんだいひらの袴はかま。腰には、すでに何人斬って来たか数も覚えぬほどに使った和泉守兼定を帯び、脇差わきざしは、去年の夏、池田屋ノ変のときに初めて使った堀川国広一尺九寸五分。
「藤吉」
と、歳三は、言った。
「この先は、道がわるいぞ」
「へい」
「ぬかるんだ道を駈かける時は、ツマサキで地を突くようにして駈けるものだ。そうすれば転ばずにすみ、速くもある」
と妙なことを言った。藤吉にはこの無口な局長代理が、なぜ不意にそんなことを云いだしたかが、理解出来ない。
「藤吉、お前の傘、駈ける時は、そいつを思いきり後ろへ捨てろ。心得ごとだ」
「へい?」
藤吉は、首をかしげて俊三を見上げた。
「い、あ、捨てますンで」
「まだよい。しかし、もうそろそろ、捨てねばなるまい。おれが、藤吉、と呼ぶ。そのとき、提灯と傘を捨て、命がけで駈けろ。間違っても、うしろを見るな」
「見れば?」
「・・・・・」
俊三は黙って、歩いていっる。
傘をやや後ろに傾けながら、背後の気配を聴いているらしい。やがて、
「藤吉、いまなにか申したか」
「いえ、後ろを見ればどうなりますンで、と申しただけでございます」
「怪我けがをするだけさ」
不愛想に答えた。
堀川をへだてて右手の闇やみに、二条城の白壁が、ぼんやりと浮んでいる。
左手は、親藩、譜代の諸藩の藩邸がつづいている。播州ばんしゅう姫路藩の藩邸の門前をすぎると、二条通の角からは越前福井松平藩の土塀どべいがつづく。
その門前近くまで来た。
「藤吉」
と、俊三はするどく叫んだ¥。
そのとき歳三自身、傘を宙空に飛ばし、腰を沈め、右膝みぎひざを折り敷き、素早く旋回した。
ばさっつ。
と不気味な音が、歳三の手もとでおこった。
瞬間、歳三の右手へ人影がもんどりうって倒れかかったかと思うと、泥濘ぬかるみの中で、もう一度大きな音を立ててころがった。血の匂においいが、闇にこめた。
その時すでに歳三は、五、六歩飛びさがっている。刀を下段右ななめに構え、越前藩邸の門柱を背うしろ楯だてにとり、
「どなたかね」
闇の中に、まだ三人いる。
「雨の夜に、ご苦労なことだ。人違いならよし、私を新選組の土方歳三と知ってなら、私も死力を尽くして戦う覚悟を決めねばなるまい」
「そう」
と、十間ばかりむこうの闇で聞こえた。
「知ってのことさ」
ああ、と歳三は思った。一度聞けば忘れられぬ。例のかん高い声である。
七里研之助であった。
「奸族かんぞく。──」
と、左手にまわった男、うわずった声をあげ、二、三歩間合まあいを詰めた。
こんな夜だが天には月があるらしく、夜雲がかすかな明るみを帯びながら、眼一ぱいの闇を静かに濡ぬらしている、
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