~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
お 雪 Part-02
「しかし、土方」
用心深く間合を詰めながら、
「いまに、うまくなる。うぬ壬生みぶ浪人は時勢を知らぬ」
「うふっ」
笑った。歳三の眼だけが。
「上州、武州をうろついていた馬糞まぐそ臭え剣術屋も、都にのぼれば、一人前の口をきくようだな」
「おい、歳三。馬糞臭え素姓は、お互いさまだろう」
(ちげえねえ)
歳三は、はらの中で苦笑した。
七里の右足が大きく踏み込むや、上段から撃ち込んだ。
受けた。
手が、しびれた。
すさまじい撃ちである。
歳三は撃ち返さず、七里の剣をつばもとで押さえつつ、さらに押さえ込み、一歩、二歩、押し返した。地の利を得たい、そんなつもりである。
七里は、足払いをかけた。歳三は、きらって足をあげた。
「みな、何をしている」
七里は、闇のまわりへどなった。
「いま、討て、討たねえか。この野郎とて鬼神じゃねえんだ」
ばらっ、と足音が左右に聞こえた。
歳三は渾身こんしんの力をこめ、七里の体を突きとばした。
七里は飛ばされながら、左腕をのばして歳三の横面よこづらをおそった。
が、むなしく剣は旋回して流れた。歳三はすでにそこにいない。歳三は左手へ走った。
駈ける途中、袈裟けさ斬りに一人を斬り倒し、越前福井藩邸の南の端の露地に入り込み、東へ駈けた。
この喧嘩の巧者こうしゃは、一人で多数と撃ちあう喧嘩が、いかに剣の名人であったても、ものの十分ももたぬ・・・ことを知っている。
西洞院にしとういんへ出てから、歳三は、やっと歩度をゆるめ、ゆっくりと南下しはじめた。
(痛え。──)
左腕をおさえた。乱刃中にたれの刃が入ったのか、傷口をさぐると、上膊部じょうはくぶ に指が入るほどの傷が口をあけていた。
それだけではない。
右足のこうに一つ。
これは、十津川者が斬りさげたのをかわしたとき、できたものだろう。
しかしそれはいい。右もも・・がぬるぬるするので袴をまくってさぐってみると、三寸ほどの傷があり、しきりと血が流れている。
(やりあがったなあ)
印籠いんろうに、あぶら・・・薬を入れてある。
そこはもともと薬屋だから、とりあえず止血しておこうと思い、あたりをすばやく見まわした。この大路で手当てするのはまずかた。
いつ連中がみつけて襲うかも知れない。
恰好かっこうの露地をみつけて、入り込んだ。
(焼酎しょうちゅうがあればいいのだが)
思いつつ脇差を抜き、傷口をしばるために袴をぬいで、ずたずたに裂いた。
その時である。
頭上の小窓が開いたのは。
2023/10/09
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