~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
紅 白 Part-02
「武士が武士たるゆえんは、惻隠そくいんの情があるかないかということですよ。ひらたく申せば、武士の情けというものです」
「ひらたく申さずとも」
と、近藤は刺身をつまみ、
「わかっておる」
にがい顔で、口に入れた。
近藤は、もはや京都政界の大立者になっていた。当人もっそのつもりでいる。伊東に、無学だと思われるのが、つらいのである。
「伊東さん。わしは、わかっておるつもりだ、なにもかも。多弁を用いてもらわずともよい」
「そうでしょうとも。こんどの旅では、旅程を重ねるにつれて、拙者の意見をよく理解して下さるようになった。── 土方さん」
と、伊東は、、近藤のひざ一つおいてむきうに坐っている歳三に話しを向けた。
歳三は、はじめっから、黙って飲んでいる。
「そうなんですよ、土方さん」
「なにが、です」
歳三は、物憂ものうそうに言った。
「いや、つまり」
と、伊東は、どもった。この歳三が苦手なのである。
「近藤先生のことですよ。先生は、長州の情勢を見られて、また一段と視野を広げられてように思う。おそらく、今の混沌こんとんとした京の政局を収拾なさるのは、清濁あわせていの近藤先生しかありませんよ」
「そうですか」
近藤のばかめ、とはらでは思っている。おだれられて、やがてひどい目にあうだろう。
「土方さんは、どう思います」
「なにがです」
「いまの問題」
「私には一向に興味はありませんな「」
歳三は、にべもなく言った。
あるのは男一ぴきだけさ、と心中で思っている。なるほ新選組は尊王攘夷の団体だが、尊王攘夷にもいろいろある。長州藩は、どさくさにまぎれて政権を奪ったうえで尊王攘夷をやろういとしている。これちはちがい、親藩の会津藩の尊王攘夷は、幕権を強化した上での尊王攘夷である。歳三は、新選組が会津藩の支配を受けている以上その信頼にこたえるというだけが思想だった。しかし男としてそれで十分だろう、と思っている。
(もともとおれは喧嘩師けんかしだからね)
歳三は、ひとり微笑わらった。
伊東はその微笑をよほど薄気味悪いものに思ったのか、黙った。座が白け、あとは、話もあまりはずまなかった。
2023/10/13
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