~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
紅 白 Part-03
明くれば慶応二年。
正月二十七日、近藤はふたたび、幕府の正使小笠原壱岐守いきのかみに随行して長州と折衝するために芸州広島へくだった。
「またかね」
出発前、歳三は近藤に言った。
「歳、留守をたのむ。こんどは、長州領の入る。この眼で長州の実態を見、長州人とも語りあいたい。彼らと国事を談ずれば、武によるべきか和によるべきか、この天下の紛争の収拾策がわかるだろう」
(がらでもねえ)
と思ったが、歳三は口に出してはわない。ただ、
「伊東と一緒だね」
念をおした。
「あれは参謀だ」
近藤は言った。
「当然、連れて行く」
「参謀?」
「そう」
「たれの参謀だかわかりゃしねえよ」
「歳、そうそう口汚く言うもんじゃねえ。われわれは国士だ。いつまでも多摩の百姓家のせがれじゃねえんだ。伊東はあれはあれで使い道のある男だ。あの男、やや長人ちょうじんを代弁しすぎるきらいはあるが、かといってあの容儀、学才は、われわれの存在を重からしめていることはたしかだ」
「重からしめている?」
歳三は、くすっ、と笑った。
「いったい伊東がなにを重からしめているんだ」
「新選組をだ」
「近藤さん。伊東が接している人士のあいだでは、新選雲は宛然えんぜん長州の幕下ばっかになったように言われているのを知っているかね」
「ばかな」
「つまり、重からしめている、というのはそいんなことか」
「わるいところだ」
近藤は言った。
「歳、お前はむかしから意地がわるくていけねえよ」
「性分だからね、あんな得体えたいの知れねえ野郎をみると、むかむかするのさ」
伊東は、近藤と同行して長州へくだった。こんどは、伊東系の重鎮である監察の篠原泰之進を連れている。
伊東、篠原は、広島に入ってしばらくは近藤と行をともにしていたが、やがて秘かに長州の広沢平助(のちの真臣さねおみ。木戸孝允たかよしとならんで維新政府の参議となる)に渡りをつけて、長州領に入った。長州藩としてはよほどの好意である。
二人は、長州藩の過激分子と交わりを求め、しきりと意見を交換してまわった。
伊東の腹中、
(討幕。──)
という考えがまとまったのは、この期間であったろう。
理由はある。
伊東が裏切りへと踏み切ったのは、この長州訪問中、重大な秘密情報を得たからであった。
それまでは長州とは犬猿けんえんの仲で、むしろ会津藩の無二の友藩であった薩摩藩が、急転、長州藩と秘密の攻守同盟を結んだらしい、ということである。
幕末史を急転させたこの秘密同盟は、この年正月二十日、土州の坂本竜馬の仲介で、長州の桂小五郎、薩摩の西郷吉之助との間に結ばれた。場所は、京都錦小路の薩摩藩邸である。
この事実は、幕府、会津藩、新選組のたれも知らなかった。
無理はない。秘密を保持するために、桂も西郷も、自藩の一部の同志に打ち明けただけで、らさなかったからである。
「薩長が手をにぎれば」
と、当時、たれもが思った。
「武力的には幕府は歯が立たないだろう」
旗本八万騎は懦弱だじゃくで使い物にならない。御三家、御家門、御親藩の諸大名は、会津、桑名を除くほか、腰がさだまらない。そんな事態でこういう観測は、幕閣の要人でさえ常識としていた。
その二大強藩が手をにぎった。
この瞬間から幕府は倒れた、といっていいのだが、不幸にも歳三は知らない。局長近藤も知らなかった。
ただひとり、参謀伊東甲子太郎のみが知った。
「京であらたに」
と、伊東は、長州で、長州人たちに宣言してまわった。
「義軍をつくるつもりです。むろん、近藤、土方とは手を切って」
長州人は喜んだ。
伊東は優遇されて、五十日間も滞留した。
2023/10/13
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