~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
紅 白 Part-04
近藤は、早く広島をきりあげたが、この広島行きは、近藤にとっても、収穫はあった。近藤を連れて行った老中小笠原壱岐守長行ながみちが、この浪人隊長の人物にれこんでしまったのである。
惚れた、というより壱岐守は感動した。当節、一介の浪人で、幕府のために身を捨てて尽くしたやろうとい奇特な男は、この男しかないだろう。
「先生」
と、壱岐守は、そういう敬称で呼んだ。鼻が大きいばかりで人一倍、気が弱くできているこの四十五歳の唐津藩の世子せいしは、近藤のような木強漢ぼつきょうかんが、好きであるというより、はじめて見る人種だったのだろう。
── 先生のようなひとこそ、国家の柱石というのでしょう。
と、奇巌きがんでも仰ぐようないい方でほめた。
── 三百年の恩顧ある旗本でさえ、ああいうざまです。私もものを悲観的に見がちだそうだが、大公儀が万一のばあい、新選組に頼らねばならぬ時が来るかも知れませんよ。
「どうでしょう」
と、壱岐守は近藤に言った。
「いっそ、将軍家の御直参ごじきさんになっていただくわけには参らぬか。身分、禄高ろくだかについては、十分、ご満足のゆくようにはからうが」
── はっ。
と近藤はおどる胸を押さえかねたが、しかし新選組は、同志の集団である。隊士は近藤の家来ではなく、同志であった。彼一存で請けるわkぁにはいかない。
(余の者はいい、伊東甲子太郎とその一派が反対するだろう)
彼らは近藤とは前身が違う。多くはそれぞれ脱藩くにぬけして攘夷の志をのべるために京へのぼってきている。ふたたびもとの主取りの身に戻るくらいなら、はじめから脱藩もすまいし、第一勝手に徳川家の家来になればもとの藩主にわるい。
(伊東甲子太郎、こいつは邪魔だな)
近藤は、はじめて思った。
そかし、伊東という人材を捨てる気にもなれない。あの男がいるおかげで、近藤は、諸藩の公用方と交わっても、いっぱしの議論が出来るようになった。新選組が、単に粗豪な剣客の集団ではなく、政治思想の団体として他藩が眼を見張るようになったばかりである。
「隊に帰り、同志とも相談はかりましたうえで、お請けしたいと存じます」
と答えておいた。
2023/10/13
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